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『web「生命の實相」輪読会』 板

183a hope:2016/07/20(水) 15:15:57 ID:xVBwxesw
九、吾らはたとい躓(つまず)くことありとも渋面せず、その瞬間起き上がりて光明に面せんことを期す。

【第九条 説明文】副題 躓く刹那に光明に転向せよ
「生命の實相」第28巻 p34 9行目〜

人生にはいろいろのことが起こってきます。それは無限創造の世界であるからであります。

われわれが自分だけの小さき立場から、かくあれかしきと祈っても、事件は自分の欲するとおりに展開しないことがあります。

しかしそれは神が諾(き)き給わないのだろうか。

否々否(いないないな)、この時こそ神がわれらにいっそう大なる生長を遂げしめんためにわれわれの内部より無限の力を引き出さんとしてその動機を与え給うているのであります。


あまり裕福な家庭に生まれ、欲しいものはすべて親より与えられ、なんの苦労なくしていっさいの必要品が贅沢に揃えられるというような家庭に育った子女たちは一面においてはまことに不幸な人たちであります。

なぜなら、そういう人たちは、すべての善き物はことごとく外からのみ与えられて、自分自身の内部から生み出す機会を恵まれないからです。

本当の幸福というものは、自分の内にあるところの善きものを生み出すことにあるのです。

他から与えられた幸福は他(ひと)が立派な着物を着ているのと同じであって、自分自身の立派さでないのです。

自分自身が立派になることのほかに自分が幸福になる道はないのです。自分自身に力がつくほかに自分の強くなる道はないのです。


かかる意味において逆境はわれわれを鍛えて、われわれの中味の善さを引き出してくれる冶金の坩堝(やきんのるつぼ)なのです。

冶金の中に投げ入れられて、われわれは鉛か金か、鍍金(めっき)か本物かがわかるのです。

われわれは好んで逆境を招(よ)ぶのではありませんが、逆境がいかにわれわれを捉えようとも、それはわれわれをいっそう聖化し強化するところの機会だとして、内より奮迅(ふんじん)の力を奮い起こすものはついに大成して逆境を脚下に蹂躪(ふみにじ)ることができるのであります。


されば逆境の来たるごとに※莞爾(かんじ)として感謝せよ。これが「生長の家」の生活であります。

微笑は心の中に光明を点じていっさいの苦難を耐え易からしめ、失われたる希望を喚(よ)びおこし、再起の勇気を奮い立たし、暗黒なる生活を光明に転向せしむるのであります。

キリストは「死にし者は死にし者に葬らせよ」と言っています。

すでに来れる逆境を嘆いたとてなんになりましょう。すでに来たり終われるものは「すでに死せる者」なのです。

「すでに死せる者」について歎いてみたとてなんになりましょう。すでに来たり終れるものを嘆き悲しむ暇(いとま)あらば、莞爾として新しい幸福に突進すべきであります。

光明に満てる微笑こそはわれらによき運命の微笑を招ぶのです。我れ渋面すれば運命も渋面するのです。

「嬉しいぞ、これから運命が開けるのだ。」苦難に捉われず、難関の来たるごとに、莞爾として微笑しつつ奮迅の勇気を奮い起こすものこそ生長の家の生活であって、必ずいかなる難関をも征服して自己自身の力で幸福になる運命を建設することができるのであります。

※莞爾… にっこり。 (頭注より)7


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