したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

『web「生命の實相」輪読会』 板

155a hope:2016/07/05(火) 10:57:51 ID:xVBwxesw

三、吾らは自己を神の子(又は仏子)なりと信じ、常にけだかく人生の道を歩み、内なる魂の矜持(ほこり)を傷つけざらん事を期す。

【第三条説明文の抜粋】 副題 「神の子の生活を今生きよ」

さて、この自分は神の子であるということがわかりましたならば、そのわかった神の子を生きて行くということが必要なのであります。

「自分は神の子である」とわかりながらそれを今生きて行かないというのは、これは実に矛盾したことであります。

そういう人は実際は、本当は神の子であるとわかっていないのであります。

そういう人が神の子であると思うのは、偽存在(にせもの)の自分を神の子であると思っている場合にそうなるのであります。

偽存在(にせもの)の自分、我の働きが神の子であるとこう思っている、その場合には、いくら聖典を読んでも実際に神の子らしき行いとしてそこに現われてこないのであります。

真鍮の指輪をもってきて、磨いたら黄金になるであろうと思っていくら磨いたって、真鍮はやはり真鍮なのであります。

それと同じく、この偽存在の自分をもって「神の子である、神の子である」とこう思っても、なかなかわれわれは神の子になれっこはない。

それでわれわれは神の子でありという自覚を実相から出してくるということが必要であります。

(略)

それでわれわれは神の子であると知るということは、結局は神の子を生きるということで、「知る」ということと「生きる」ということと別にあると思うとまちがいであります。

つまり、「知る」とは「生きる」ということである。

(略)

本当の信心というのは「ここに神が生きる」「ここに仏が生きる」この自覚で生ききるのが信心であります。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板