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トーキングスティック板/2
327
:
トキ
:2016/10/20(木) 10:01:15 ID:zB6BIju.
>>318
愚見にコメントを頂戴し、深く感謝申し上げます。
当該部分は、機関誌「生長の家」10月号23ページです。白鳩会総裁 谷口純子先生の
ブログ「恵味な日々」8月13日よりの抜粋です。
http://junkotaniguchi.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/index.html
以下をご参照ください。
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大乗以前の仏教は、社会的、文化的に恵まれた少数のエリート知識層によって維持され、民衆とは離れた立場から高踏的な宗教活動をしていました。釈迦を一個の肉体を持った歴史的人物として捉えていて、信仰者はその精進の道程を模範として自らの心を鎮め、教理を学び、煩悩を脱却して、涅槃に入ることを目指して修行していました。自分だけの解脱、すなわちニルバーナ(涅槃)に入ることをめざし、生前においては、完全な状態には到達しなかったということです。P14
しかしそれでは、文字が読めず、あるいは煩雑な教理を理解する能力のない民衆に救いをもたらすことはできません。新興の商人層や民衆の精神的渇望に応えるためには、教えの解き方にも変化が起こるのは当然のことでした。
大乗の教えでは、釈迦(ブッダ)は、一個の歴史的人物に限定されず、肉体人間を超えた理想的、超人的存在として捉えられました。そうでなければ、無学で煩悩具足した一般民衆を掬い取る力が不足すると、考えられたからだろうとのことです。日本に伝えられたのも、ほとんどが大乗の教えです。
仏説以外は仏教に非ずという、原理主義的な考え方では、今日の仏教はなかったということがいえます。これはキリスト教も同じです。
生長の家の場合を考えてみますと、もしかしたら多くの方は生長の家の教えはすでに完成している、「生命の実相40巻」の中に、全てがあると思っている方があるかもしれません。けれども、「日々の祈り」が書かれ「大自然讃歌」「観世音菩薩讃歌」が出されたのは、どういうことでしょう。総裁がよく言われるように「生命の実相」や「聖経」に、自然と人間について書かれていないわけではありません。けれども、それらが書かれた時代は現在のように環境問題が人間の生存を脅かすほど深刻ではありませんでした。それよりは病苦や生活苦が人々にとって大きな問題であったため、自然と人間の関係について強調されなかったということです。ですから「生命の実相」や「聖経」をよく読んでいた私たちは、自然と人間との関係についてあまり意識することがありませんでした。それを補うために新しい祈りや讃歌が出されたのです。いつも言われるように、宗教は時代の制約下にあるし、そうでなければ人々の要求に応えられず、時代から取り残されていくと云う事です。
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