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トーキングスティック板/2
320
:
クリ
:2016/10/20(木) 08:43:35 ID:6hRUvSRg
「みすまるの珠」より
176 人間は、神である。
“人間至上主義は間違っている” というとき、その “人間” とは動物なる肉体人間をさしている。
動物である肉体人間は、我欲によって自然環境を破壊する “地球のガン” となり得る。
その 「我欲によって自然環境を破壊してきた地球のガン、罪の子」 の自覚が、
潜在意識的自己処罰、自己破壊願望によって、いま、攻撃が反撃を生む 「報復の連鎖」 なるテロにおびえる
世界の状態をひきおこしているとも考えられる。
しかし、真の人間は、肉体ではない。真の人間は、神である。
≪人即ち神であると言う真理を知らぬ者が多いのは気の毒である。『生長の家』 が
此の世に出現したのはすべての人々に此の至上の真理を知らさんが為である。
自己が神だと悟ったら
人間が傲慢になるように誤解したり、自己の本性が神だと悟った者を謙遜が足りぬと思う者は大変な思い違いである。
斯くの如き想像をする者は自己が神だと言う真理をまだ一度も悟って見たことがないからである。
自己が神だと悟れたら人間は本当に謙遜になれるのである。キリストが弟子の足を洗うことが出来たのも、
自己が神だと悟っていたからである。
本当の謙遜は 『神の自覚』 から来る。神を自己の本性(うち)に自覚しないものは、
いくら謙遜らしく見えても、それは卑屈にすぎない。卑屈と謙遜とを思い誤るな。本当の謙遜とは
『自己は神より出でた神の子である、従って神そのもののほか何者でもない』 と言う真理を
何らの抗(さか)らいもなしに承認することである。此の真理を承認するものを謙遜と言い柔和と言う。
此の真理に逆う者を傲慢と言うのである。すべての傲慢と意地張りとは『吾れ神なり』の真理を
承認しないところの根本傲慢より分化し来たるのである。≫
と、完成(ななつ)の燈台の点燈者なる生長の家大神は、神示を垂れ給う(「至上者の自覚の神示」)。
人間とは何か?
現在では、環境にもみくだかれ、生活にこづき回され、機械や社会体制の部品となって、
いつ廃物とされるかわからない、情けない、無力で不安定な存在にすぎない。
人間とは本来、そういうものではなく、宇宙的にかかわりあっている、巨大な存在なのだ――と、アガシヤは教える。
それを自覚せねばならぬ時がまもなく訪れてくる。激しいショックを受け、大きな試練をのりこえて、
いやでも人間は、本当の自分自身に目ざめ、偉大な自覚を抱くようになる。それがつまり地上の浄化だ。
この上もなく平和な、輝かしい時代は、人類をゆり動かす大きなショックとともにやってくる。≫
とアガシャも伝えている。
いま、攻撃が反撃を生む 「報復の連鎖」 におののいている世界の難題を克服する道は、
「人即ち神であるという真理」 の自覚(それが正念である)に目覚めて、本当に謙遜になり、
真の愛を行ずることによってのみ克服できるのではないか。今こそ、正念(しょうねん)によらなければ乗り切れない
「正念場」 なのである。
「われ神なり」 の自覚が、すべてを 「わが生みし子なり、我れなり」 として慈しみ、
生かす行いの元となる。その自覚こそが、世界平和の元となる。
親が、子を訴えて裁判沙汰に持ち込むなどというのは聞いたことがない。
ところが生長の家では、子にあたる元熱心な信徒、同志を排撃し、裁判に訴えるような行動をしながら、
「神・自然・人間の大調和による世界平和」 などと言っても、信徒はしらけるだけである。
生長の家総裁および教団中枢幹部の方々。「人間は神なり」 の元に還り、まずは、裁判をやめ、
子にあたる元熱心な信徒、同志との大調和、和解、協力総活躍をめざしてください。
さもなければ、生長の家出現の意味はなくなると思うものです。
(2015.11.20)
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