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本流対策室/6

68志恩:2015/02/16(月) 19:22:57 ID:.QY5jUA6
山ちゃん1952様ブログより    2015年02月15日

「雑感」

最近は トキさんも 和解念仏教を 辞めたのかと思っている。

もしそれが 本当ならば それが正解であろう、いくら和解を勧めても相手側(雅宣総裁)は自分がおかしいというようなことを
気づいてもいないし、仮に気づいていたとしても サラサラそういうものに 同調するわけがない。

生長の家の教えを 自分の都合で紆余曲折はするが、自分の命令するものには 拒否をする。わがままといえばそうだが、淡い期待をするのも時間の無駄である。

どうして「生長の家」の論理が 通用しないのか?それは自分が正しいと思っているからである。間違いしているなどとは当然思っていない。
弟の貴康さんも そのように思っていることが ご本人のブログで書いていたことを思い出す。
兄弟でも どうしようもない、お母さんである「恵美子先生」も どうしょうもなく、雅宣総裁をみている。

そういう人物が 宗教での長として君臨しているのであるから、おかしいことになるのは当然である。
宗教上 犯してはならない「祭神」を変更するなど平気なのである。
その関連づけを「ムスビ」というから笑ってしまう。タカミムスビとカミムスビを付け加える論理などあまりにも幼稚で呆れる。
何故幼稚かというと、本人がムスビが出来ていないのに「他人」に強要するなど普通は恥ずかしくて出来ない。

そうした恥ずかしいことなど 「日本の文化」である「恥の文化」というのを 普通は 日本人ならば持ち合わせているが
雅宣総裁は そういうのは ないのであろう。

仮にあったとしても、自分の「欲」や「我」が 上回っているのであろう。

それならば、何故信徒は 気がつかないのであろうと思うが、それは「自分は生長の家」で救われた。
だがそれを辞めてまで反発する勇気を持ち合わせていない。

大衆のなかで自分ひとりがそのなかで唯々諾々と従うのが「大変楽なこと」なんです。
敢えて反発する必要もないからそうした「和」を強調するのです。

日本は「和」の文化です。それが間違ったことで「和」が考えられるのが、こうした間違った論理でも 従ってしまうのです。
あのオウム教がそうであったように その中に 安住すると 楽なんです。

また「中心帰一」という 相手を君臨させるのには 都合のいい言葉がありました。それを 間違って使っているのが 雅宣総裁であります。

雅春先生が存命中はそういうい言葉を敢えて使うようなことをされませんでした『菩薩は何を為すべきか』書いてあるじゃないかと言われるが、
これも以前に書いたのでここでは書きませんが、弟子が作製したのを雅春先生が承認したというような経緯があります。

発刊された時代からみると やむ得なかったと私は思います。
それはもう一つ悪いことに 生長の家の歴史を封殺しているから、雅宣総裁から 言われると 従ってしまうのです。
だが「歴史を封殺」することは 自ずから「生長の家」を 崩壊させることに 繋がることを 知らないから、そういうことが出来るのである。(つづく)


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