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実相哲学を論じる部屋

797神の子さん:2018/05/09(水) 21:07:23 ID:P..xzO46
仏典には「一人(いちにん)出家すれば九族天に生まる」という聖句がある。九族とは高祖・曽祖・祖父・父・自己・子・孫・曽孫・玄孫の各九代にわたる親族のことである。「九族が天に生まれて」天人歓喜常楽の生活を営ましめるためには、九族の名前をいちいち呼び出して祀るということが必ずしも必要ではないのである。自分自身が出家することが必要である。

 “出家する” とは必ずしも、家を出て僧侶の修行をすることではないのである。真理を悟って、俗世間に生活しながらでも、維摩居士(ゆいまこじ)のように自由を得るということである。俗世に処しながら、その俗世の生活が真理によって超出した境地で、「菩薩(ぼさつ)心浄ければ仏土浄し」 の浄き世界に住み得ることである。

 自分ひとりがそのような悟境に入れば九族悉く天界に生まれるのであるから、「迷っている霊はひとりも無い」 ということになるのである。「あの霊が迷っているのではないか」 と “迷い” に引っかかるより先に自分が迷っていないようになることが大切である。(『生長の家』誌昭和46年11月号参照)>>と、『人生を支配する先祖供養』 p.69〜70には書かれているのであります。

雅宣先生は可笑しいという方々にお聞きしたい。

この雅春先生の御文章が正しいのであれば、【孫にあたる雅宣先生は天界に生まれている】ことになります。【いや彼は迷っている】と云うのであれば、雅春先生は悟境に入っていないことになります。

【「あの霊が迷っているのではないか」 と “迷い” に引っかかるより先に自分が迷っていないようになることが大切である。】

この御文章が雅春先生の御見解だと私は思います。生きていても霊界に往かれていても秩序を持ってお仕えすることが必要と思う次第です。


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