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実相哲学を論じる部屋

767曳馬野:2016/12/16(金) 15:32:45 ID:MSCllY4.
時間的長さも、空間的形態もこのやうに吾々の知覚機関との関係上、相対的にたださう感じられるだけであって、存在(もの)の實相(ほんとのすがた)は吾々の五官では知ることが出来ないのであります。

そこで吾々の五官を通じて存在(もの)を見る心は『迷はしの心』であって、存在(もの)の實相(ほんとのすがた)を観る心ではないことが判るのであります。

だから、吾々は五官の感覚で見たり知ったりしたところのものを存在(もの)の實相(ほんとのすがた)だと思ってはならない。存在(もの)の實相(ほんとのすがた)はただの感覚では見られない状態にある。(生命の実相より) ( )の中のかなは漢字の振り仮名です)
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『だから、吾々は五官の感覚で見たり知ったりしたところのものを存在(もの)の實相(ほんとのすがた)だと思ってはならない。』と説かれていることに反しているのです。

私には生長の家信徒の殆んどの方は、実相と云う言葉の意味するものを、現象と云われるものから離れて遥か彼方の架空のものと捉えている感じがします。


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