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実相哲学を論じる部屋
74
:
”あんふらまんす”に触れるもの
:2014/01/13(月) 20:21:35 ID:5M8CrOnI
「万法すすみて…」
信仰観を確認できありがとうございました。
私の経験では、仕事や他への想いに没頭し、”思わずして”自我が失われた時、
自我一体(他がまるで私の中にいる)、万象が連関して全くの無駄がない、という気づきを得ることがありますが、
その時、現象の私は確かに何か行動はしているように見えるのですが、実際には”私”は「何もしていない」のです。
生長の家では、「我がなすにあらず…」という言葉がありますね。
その時、(何かを”為す”ためではない)「祈りは最大の行動」になり、
ただ、「何もしないことに全力を尽くす」といはそういう意味で、書いたのです。
(…少なくても、トキ様が危惧するような、宗教指導者の言うことや書いてあることを考えなしに信じるということとは、真逆の心境ではないでしょうか?…)
雅春先生は、
生長の家は簡単なのですよ、
「人間神の子、ありがとう」
この10文字に集約される。
と仰いましたが、
私の信仰はひたすら単純なもので、
それが生長の家で学んだことであり、
そのことへの畏敬と感謝の念のみといえるかもしれません。
また、「実相有相」論、「実相無相」論においては、根を同じくする宗教姿勢への違和感が払拭できました。
お互いが事前に共感し合っていたり、出来合い浅いの理解の範囲などはともかく、
深い真理を学ぶには、個人の心と実際対面し、響き合いの中でしか学べないと考えておりますので、
これで失礼しますが、
学びをありがとうございました。
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