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実相哲学を論じる部屋

72トキ:2014/01/13(月) 19:22:36 ID:5JgYOXqc
 つまり法律の不備という問題があり、それをカバーする手段として
広範な教団や教団指導部への批判の認容という関係があるみたいです。

 そこで、2つの事が言えると思います。

 教団批判が正当化されるのは、教団が社会通念上、当然とされる組織
運営もしていない場合です。逆に言えば、宗教法人が民主的な手続を規約
で定め、情報を公開し、少数意見も尊重する姿勢を見せたら、外部での
批判は、法的にも道義的にも正当化するのは難しくなります。

 ここで、生長の家について言えば、過去の生長の家は政治的な立場は
「右」でしたが、組織運営はかなり民主的なものでした。例えば、第1
回の青年会全国大会では、参加者の間で大激論が交わされたと、参加し
た人から直接聞いています。代表者会議も昔は三日間開催され、運動
方針について教区の代表者が発言をする機会を与えられていました。

 しかし、今日の生長の家では、少数意見は無視され、組織に批判的な
意見を出すと、有形無形の不利益を受けます。これに疑問を感じる人は
光明掲示板に投稿をしてみたらいいです。おそらく、山ほど実例をあげ
てくれると思います。

 こういう状況では、ネット上で教団批判をすることは、有る意味
正当化されると思います。教団側が行うべき事は、ネット上の言動を
批判するだけではなく、組織運営をより民主化し、広く信徒の正当な
権利を保障する事だと思います。

 もう一つ、言える事は、ネット上での教団批判が正当化されるのは
法律の不備を補うという公益的な利益があるからです。ですから、
教団指導部の決定が独善的であるとか、不都合な面を指摘するのは
重要です。が、それを超えて、例えば、執行部や指導部にいる個人の
人格の否定までするのは、明らかに行き過ぎだと思います。

(つづく)


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