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実相哲学を論じる部屋

617志恩:2015/11/03(火) 22:04:23 ID:6hRUvSRg
>>615:
>此処に説かれていることは間違いでしょうか?
世尊拈華、庭前の柏樹子の 公案の意味において雅春先生とは かけ離れていると思えます。
間違えた解釈というのでしたら、どのように間違えているか教えていただきたいです。<<

神の子さんが、615: に貼付された2つのYouTubeは、しばらく前に 曵馬野さんが 私にお名前をご紹介くださり、
私が、曵馬野さん宛に貼付させていただいた

曹洞宗の井上哲玄禅師(兄)、と井上貫道禅師(弟)の説法ですので、私も、2つとも 拝聴 しています。
井上禅師ご兄弟は、お父上の禅師に引き続き悟られたことがあると言われているだけあり、お話の内容は
お釈迦様のお話を、誰にでも解るように 淡々と説法されてますが、

視聴したあと、視聴して、すごくよかった...という感じは、私にはなく、
私の場合は、谷口雅春先生は、やはり、
究極の仏法の真髄も説かれて、すごいお方だったと、改めて、受け取りましたから、あなたと、受け取り方が異なっていると思います。

神の子さんが、言われる この おふたりの禅師の説法と、谷口雅春先生の 説かれておられた「世尊拈華(*拈華微笑のことですよね)」、
「庭前の柏樹子」と、どの点に相違があるとあなたが、いわれるのか、具体的に2つを比較された文が、ありませんので、わかりません。

質問は、掲示板を読まれた方々も、どこがどう、ちがうのか、わからないと思いますので、
ご両者の、具体的な文を提示されて、ここと、ここが、違うのでは?というふうに、書いていただきたいと思います。
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前に、安谷白雲禅師著「禅の心髄 無門関」より、公案とはどんなものかという安谷禅師の次の文をお知らせしましたが、
再掲します。


「公案というものはどんなものか」(2頁)

[ いずれにしても 公案というものは、二義的、三義的の思想や、観念や、信仰を説明するようなものではない。

法の第一義、すなわち  「衆生 本来 仏なり」という、

われわれの大先天性そのものをズバリと取り扱うものである。

言い換えると、やりとりできない、絶対というわれわれの事実を、仮に、やりとりしてみせるといったような筋のものが
公案である。]
_________________________________________________________________________________________
 このように、
生長の家の教えも、仏教も 行くつく先は、同じですよね。表現方法は、異なりますが....
仏教は、実は哲学ですし、谷口雅春先生の教えも、谷口哲学として、同じ哲学同士で スタートしたのですし。


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