[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
実相哲学を論じる部屋
54
:
志恩
:2014/01/13(月) 06:03:41 ID:.QY5jUA6
曵馬野様
盤珪禅師の《一念だにあらば仏心かくくる也》 とは、
『仏性、仏心=真我』…この「一念」を、
寝ても覚めても、捲まず撓まず、心に携えておれ、
そうでないと、仏心が、いつの間にか、隠れてしまうからな、という意味だと思います。
身分いやしきもの様が書かれました「只管打坐」のことでもあると思います。
曵馬野様が言われた
「何もしないことに全力を尽くす」の、「何もしない」とは、
●ほんとうに なにもしないことでも
●何も考えないことでも
●ただ7月のヤリ(ボンヤリ)でいることでもなく。
♠仏教の核心は、
「知識」多き人にはわかりにくいものであるから、
「知識」を捨てて、心の底をぶち破り、底抜けになった、「大馬鹿」になっておれ。
「大馬鹿」でないと わかりにくいのでな。
ということが、
仏教の書にも書いてありますから、
「一念だにあらば とは、真我、仏心でおらないと、という意味」だと思います
雅春先生が《一念不生のところに真実生命の動くを見たるのが盤珪なり。
一念だにあらば仏心かくるる也。一念とは智慧の樹の実也。
智慧の樹の実を食べれば堕地獄なり。》と、おっしゃっておられますように。
盤珪禅師の説法に、⬇
「仏になろうとか 悟ろうとか するよりも、
「寝ても覚めても 一日中、ひたすら 「仏心の 一念」でおれ。
生まれたままの、 清浄心の一念で おるように 心がけよ。
本来 人間は、仏心であるのだから、知識を詰め込むよりも、
なによりも、只座禅をして、
そのまま、ありのまま、仏であることを瞑想して仏と一体であることを実感せよ。
その方が、ぞうさがのうて仏になる近道であるぞ。」
とありますように、雅春先生が説かれた上記のことと、一致していると思います。
盤珪禅師のおことばー
《親が、生みつけてくれたは、仏心一つでござる。その仏心は、まこと不生にして、霊明なるもので、
これのみにて、人間一切が調いまする。》
般若心経ー
このお経の文言に『不生不滅不垢不浄』というのが、ございますが、
生まれていないから、死する事(滅する事)も無し。という意味です...、
(これは、言うまでもなく、五官の現象世界の立ち位置ではなく...….、)
このように、
雅春先生がおっしゃったことと、
盤珪禅師がおっしゃったことと、説法が一致していると 思います。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板