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実相哲学を論じる部屋
45
:
身分いやしきもの
:2014/01/12(日) 01:13:52 ID:iei0MD3c
トキ様
議論ができるというのはいいものですね。わたしの書いた内容が議論に発展することなどついぞなかったという気がいたします。
釈迦が実相無相を悟ったのかどうか、わたしも存じておりません。しかも「無相」がなにを意味するのかも存じておりません。わたしのいう無相とはきわめて単純なものです。無相とは、主観客観未分離の状態をいいます。
日本国の実相が主客未分離の世界に理念として存在しているのかどうかはわかりません。しかし、主客未分離の世界に特定の理念が存在しているということはいかにすればいえるのか、ということには興味があります。
主客未分離の世界とは、みるものもみられるものも存在しない世界です。いかなるものがそこにあろうとも、それを対象化できない世界であると考えます。特定の理念がそこにあったとしてもそれを対象化するのは不可能であるはずです。その対象化できないもののなんたるかをいかにすれば言い当てることができるのか、このことには興味があります。
いかなる理念があろうともその対象化が不可能であるがゆえに、主客が分離した世界を創造する必要があったとわたしは考えます。主観と客観とに分離させてみて、そこになにがあらわれるのかを確認しないかぎり、主客分離以前の世界になにがあったかを知るすべはないと考えます。
日本国の実相が主客分離した世界ですでに顕現されたというのであれば、その実相は主客未分離の世界にあったと考えることができます。雅春先生はおそらく実相世界においてすでに顕現しているとおっしゃっておられるのでしょう。しかし実相世界とはなんなのでしょう。問題は実相世界とはどういう世界なのかということなのです。
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