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実相哲学を論じる部屋

42トキ:2014/01/11(土) 10:53:49 ID:4XvuVX0A
 たぶん、身分いやしき者様の発想の後ろにあるのは、一神教的な発想が少数意見や異端者の
排除につながるという歴史的な事実かと想像します。(違ったらごめんなさい。)

 その点、多神教的な発想に立てば、異端者の排除という事態は起こりにくくなります。しか
し、生長の家の信仰から考えると、多神教的な神様は、いわゆる第二義、第三義の神様で最終
的には、第一義の神様への信仰が基本になります。そこで、第一義の神様である実相を無相に
することで、多様な意見の存在を許容する信仰にしたいとお考えかと拝察します。

 言い換えると、本流復活派が教団や総裁を攻撃する時につかう発想の一つに、谷口雅春先生
という一つのモデルがあり、そのモデルから逸脱する事が信仰への冒涜である、というパターン
があります。そこで、「悟り」というものは、形がないものであるから、「悟り」自体は同じで
も、それが外形に現れる時には、その人や環境によって変わるのが当たり前である。今の総裁
と谷口雅春先生では、「悟り」は同じだが、人も形も変わるのだから、違って当然である、と
いうのが教団側の反論です。この論理を進めると、実相にはモデルがないものであるから、あく
までも無相である、という発想になるかと感じています。(これも違ったらごめんなさい。)

*次の投稿は用事を澄ませてからになるので、遅れます。ごめんなさい。

(つづく)


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