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実相哲学を論じる部屋
379
:
初心者
:2014/03/30(日) 09:18:06 ID:k.9Qtig6
神の子さま
>「聖地」とは現象世界に「ここは聖なる場所である」というコトバによってある程度の人達が認識した
場所が聖地と「呼ばれる」ものであり実相世界とは相いれない次元の話ではないでしょうか。
わたしは、実相世界には「生長の家本部」も「聖地」もないと考えます。わたしは「言葉がすべて」とする立場にたっています。したがって、実相世界にあるのはコトバだけであると考えます。
実相世界のコトバが複雑に組み合わさることで現象はつくられます。しかし、コトバが複雑に組み合わさっただけでは現象は生じないはずです。コトバの組み合わせを現象化する力が必要です。天皇制とは、実相世界の「現象化する力」が現象としてあらわれたものと考えます。
ロラン・バルトという言語学者は、「日本語は意味をもたない空虚な言葉である」といいました。バルトによれば、ヨーロッパの言葉は神学的な意味によって埋め尽くされていることで、とても窮屈なものになっているのだそうです。言葉がいかなる意味によっても埋められておらず、それをもちいる人々をいかなる思想によってもしばろうとしない日本語は、バルトによれば「言葉のユートピア」であるそうです。
空虚な言葉である日本語を支えているのが天皇制である、とバルトはいいました。天皇制がなければ、空虚な日本語は意味をなせない。つまりはこういうことだとおもいます。
雅春先生は、日本には実相世界の仕組みのようなものが現象化している、というようなことをいっておられたとおもいます。雅春先生は仕組みを「中心」という言葉で表現しておられますが、わたしはちがう考え方をしています。
「言葉がすべて」とする立場にたつなら、日本語がもっとも理想的な言葉であり、しかもその日本語が天皇制によって支えられているのであれば、実相世界の仕組みも同様の仕組みであると考えるしかないということです。
日本語が天皇制によって支えられているように、実相世界のコトバも、天皇制が象徴する力によって支えられている。これがわたしの考えです。
実相世界に聖地はないと考えます。実相世界にあるのはコトバの組み合わせであり、その組み合わせが聖地として現象化されると考えます。
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