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実相哲学を論じる部屋

376志恩:2014/03/30(日) 05:41:44 ID:.QY5jUA6
総本山、🌹「聖地」については
雅春先生著「神の真義とその理解」にも、書かれてあります。


 愈々時が来た真理普及の本山の完成

 私は近いうちに、九州別格本山の八万坪の🌹聖地に、
護国の神霊住吉大神の神殿を建立する準備のために移住する。
宇宙創造の大神は、神示に、「われに神殿は不要である」と仰せられているのであります。

絶対者にまします大神にとっては神殿は不要であるが、住吉大神と名を示して個別的にあらわれ給うた人格神については
又別の相対的意義があるのであります。人間にとっては礼拝精神の対象として、信仰心の集中の一点として、

崇敬の心を散乱せしめないためには神殿が必要なのであります。

しかし神殿に奉斎する御神体は偶像ではないのであって“護国の神剣”をもって御神体とするのであります。(中略)

迷いの暗を切り光を現わす真理の神剣の働き
『生命の實相』第一巻の開巻冒頭に、“はしがき”よりも、目次よりも、尚その前の頁に

新約聖書の「黙示録」の第一章にある白髪の翁の姿をもってあらわれた「久遠のキリスト」の姿が描写されているのである。
「何故、生長の家はキリスト教ではないのに、
キリスト教聖書の一節を『生命の實相』第一巻の“はしがき”よりも目次よりも尚前に引用して掲出してあるか」といいますと

白髪は久遠の表象であり、キリスト教に於ては“生長の家の大神”は白髪の久遠神としてあらわれていられるからであります。
その白髪のキリストの御姿の描写の中に「その口より両刃の利き剣出で」と示されている。

これ真と偽とを別ち美と醜とを分別し、善悪を審く、最後の審判の神剣なのである。

善悪・美醜を審判する“秩序の智慧”が神であり、

その神剣によって悪は切り棄てられ、偽は葬られ、
本来無いのに姿をあらわしている病いその他一切の醜きものは切り棄てられて地獄の火の坑に投げ入れられ焼き滅ぼされて、

真なるもの、美なるもの、善なるもののみがそこに住吉の世界を地上天国として姿をあらわすのであります。

もし、この真と偽とを分ち、真なるもの、善なるもの、美なるもののみを顕し、
これに反するものを切り棄てるハタラキが発動しなければ天地は完成しないのであります。」


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