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実相哲学を論じる部屋
35
:
志恩
:2014/01/10(金) 01:11:32 ID:.QY5jUA6
261 :義春:2011/11/05(土) 12:06:25 ID:iu5Ar./Q
又、食事について、せい様から、雅春先生の御文章からこの様な投稿をして頂きました。
大事な事なので、私も引用させて頂きます。せい様、真に有り難う御座います!
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ところでこの食事をいただくというのは、単に肉体にカロリーを補給し、ビタミンを補給し、蛋白質を補給するというだけの意味で、
食物をたべていますと、その物質によって補給せられ、その物質がかためられて人体というものになっている気がして来ますから、どうしても物質的に人間を見て来ることになります。
食物で養われる人間も、摂取される食物も、それはただの物質である、というだけのことになります。
「物質」が物質を食べて「人間」というものになっている。そう思って食べても毒にはならんけれども、其処には物質を超えた霊的な価値というものは出て来ない。
物質は物質としてただそれだけの値打ちしかない訳であります。
ところが、私たちがいただくところの食物を、そういう風な、単なる物質的カロリーの補給だとか、物質的栄養素の補給だとかだけに思わないで、
その奥にある霊的生命を観て、それに感謝して食物をいただくとき、
内在価値が展開してくるのであります。
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この霊的生命に感謝する、そういった霊的文化が主とならないと、食事もまた崩れていきます。
何故、食に関して執拗に記すかと申しますと、食と云うものほど、人の考え方の根幹を成しているからであります。
それですので、食が崩れると言う事から、食で生命への敬意がなくなれば、社会そのものにも、
生命が主ではなく物質が主となってしまいます。そして結局は社会そのものも、今現在の様々な問題が表しています様に、
社会そのものの重圧により自壊してしまうという様になってしまうのではないかと感じております。
また、文化というものは一般的には【質】を重視し、文明は【量】を重視します。
ですので、日本の江戸時代は正に文化の時代で、1つ1つの物を大事にするものでありました。
これは何度も触れておりますが、循環型社会を形成していきます。
又、文明は現代文明が象徴的でありまして、大量生産・大量消費が社会の根本的なシステムの要因であるので、
使い捨てという現象が往々に起こります。現代文明は過労死・うつ病など人間の使い捨てすら起すシステムと言えます。
ただ、霊的文化・物質文明の両方がないといけません。
例えば、肉食は仏教伝来後、平安時代になっていくと、貴族の間では罪を犯す事を極度に恐れる事で全く肉を食べなくなりましたが、
その結果、貴族が日記等から観れば栄養失調としか言いようのない症状で亡くなる等本末転倒な現象が起きてしまいました。
それだから両方が成就する事でバランスの取れた社会の在り方を誓願されたと私は感じております。
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