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実相哲学を論じる部屋

286志恩:2014/03/26(水) 12:47:05 ID:.QY5jUA6
初心者様

あなたの主張している人間中心主義のヒューマニズムと、
訊け様が言ってるヒューマニズムとは、
異なるのではないでしょうか。

訊け様が、言われているヒューマニズムとは

「人間の本性は何か」というヒューマニズムのことです。

「神の子人間という本性と、さまざまな人間的事象に 関心と愛情を抱き,
人間の特殊性に 固有の価値と尊厳を認め,非人間的な者に対して
それを擁護しようとする態度ないし志向を指す。」

これが、訊け様のいうヒューマニズムです。

そのヒューマニズム観に立ち、大自然に向かうとー

大自然の命も、自分の命も1つ命で、生かされており、繋がっている
同じ命に生かされているもの同志なのだから、人間だけよきゃいい、自分だけよきゃいいという
ような利己主義的な、自然を破壊するような生き方は、神の子人間は、してはならないのだ。
もしも、日本人が西洋かぶれして、唯物思想に陥ったために、利己主義な行為をしてきたというなら、
….という言い方になるとおもいます。

しかし、初心者様の言う人間中心主義のヒューマニズムとは、
人間の救済などは、自分でやればいいのだ。

今は、人間個人のことなど考えてる時期じゃない。人間の事は、後回しにして、
自然を中心に考えるべきだ。と聞こえます。

人間中心主義というのは、
私が、先に貼りました、

戦後 日本が西洋化して、西洋的 経済発展が示したような 
日本だけでなく世界のあらゆる国々が、世俗的な経済発展のみを主とする
西洋的ヒューマニズム (人間中心主義)に基礎を置き、それに帰着してしまったからです。

ですから、生長の家が、個性ある自然環境運動を推進すると すれならば

戦後に 日本人も含めて人間が犯して来た 西洋的、人間中心主義のヒューマニズム(人間観)を排し、
原点である日本的なる、みな神の子、自他一体という
本来のヒューマニズムの出発点にたつべきであると 主張すべき事だと思います。

それには、訊け様が指摘されたように
生長の家の教えの原点である
本来の、人間は神のいのちを生きている、大自然もそうなのだという 
リアリスティックなヒューマニズムとはどういうものかということを
明らかにしないと、

西洋的ヒューマニズムという意味である人間中心主義の大合唱の渦に巻き込まれて、
教団は 終わると思います。

ですから
訊け様が言う

雅春先生の教えは、「人間中心主義」でもなく「自然中心主義」でもなく「神中心主義」なのだ
というご意見は正しいと、私は思っております。

だからといって、自然回帰せよといって、森の木々を伐採して、そこへ家を建てるというのが、
自然中心主義だとも思いません。

それも環境破壊の1つのように思えます。

今は、発展や利便性追求の流れから、もともとの自然に回帰することで、環境問題を解決しようとする考え方があり、

文明と環境問題が密接な関係を持つことから、文明を回避あるいは後退させることで解決しようとする
考え方もあります。

この流れは、日本では環境負荷の低い精進料理・江戸時代の生活様式など伝統を
見直そうという動きに窺うことが出来るとおもいますが、ほとんどの人間が街に住んでいるのですから、
森に行かなくとも、そのままで、人間が 気持ちに負担を感じず、

元々の生長の家の信仰をするときに、自然に派生する環境についての行動を大事にするほうが、
本来の生長の家らしい生き方だと 私は思っております。


………………………………………...
さくらさんは、訊けさんに対して、人格否定発言をしたので、私は怒り心頭になったのです。
私が怒ったから、さくらさんは出て行っただなんて、
あなたは、いつもながら なんでもかんでも他人のせいにするご性格なんですね。

あなたの論は、分からなくても、あなたの過去からの手法は、分かるといういみです。


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