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実相哲学を論じる部屋
239
:
転載少年
:2014/03/23(日) 00:36:51 ID:???
「教規改正」の発端となった出来事
日本国の国法である「宗教法人法」は”聖俗分離”の考え方で制定されており、”聖”とは「純粋な宗教活動全般」に関わること、”俗”とは財産管理や経理事務に関わることとされている。
改正前の「生長の家教規」でも”聖”の部分を「理事会」が担い、”俗”の部分は宗教法人法に定められた「責任役員会」(理事が兼任)が担っていた。改正前の「生長の家教規」では、「理事会」は理事長と理事合計十九名で構成され、理事会で決議された案件を、総裁の承認を経て執行されていた。
尚、宗教上重要な案件については「最高首脳者会」(総裁、副総裁、理事で構成)が開催されることがあり、教規の改正や運動方針などの決定は最高決議機関の「拡大最高首脳者会」(最高首脳者会構成員に教化部長などを加えて構成)で行われたが、通常、生長の家の運営は事実上「理事会」によって担われていた。
理事の選出は、理事長が作成した「理事候補者リスト」に基づき、理事長と教化部長で構成する「評議員会」での秘密投票による過半数の承認で選出され、理事長は理事の互選で選出されていた。従って、簡単に言えば、教化部長が理事を選出し、理事が理事長を選出した。総裁は、最高首脳者会、拡大最高首脳者会を主宰し、理事会での決議事項の承認を行っていた。これが生長の家の意思決定の流れであった。
そこでなぜ谷口雅宣副総裁はこの教規を「改正」しようと考えたのか。まず挙げられるのは、谷口雅宣氏の平成十一年十一月二十二日付の「総裁代行」就任である。総裁から「総裁代行」の委任を受けた谷口雅宣氏は、これで「教規」上何の権限も持たなかった身分からほとんど総裁同様の権限を手に入れた。
しかも、ほとんど「強奪」に等しいやり方であった。すなわち、この八ヵ月前の三月末日、谷口雅宣氏は、生長の家本部を退職する旨、パソコン通信にて全国の教化部長に発表した。その文面には、総裁を中心とした機関決定による教団運営に疑問を呈し、副総裁たる自分には何の権限もない現状への不満に満ちていた。
そして最後は「お別れの挨拶」めいた文章で締め括られていた。まさに読み手には副総裁職をも辞任するかの如き感を抱かせるものであった。従って、これは教化部長を通して総裁への、このままでは職員のみならず副総裁をも辞職するとの恫喝的メッセージと言えるものであった。
それまで「教規」上は何の権限もなく、ただ次期総裁候補者という地位で高圧的に振舞ってきた谷口雅宣氏だったが、総裁代行就任によって、ここに教団の運営に関する絶大な権力を有するようになった。
その副総裁が、平成十二年五月二日の評議員会に、自分の意向に添った理事選出を図ったところ、その意中の人物の殆どが落選し、このため理事会の定員十九名が埋まらないという事態が生じた。この時点では、副総裁の暴走を止めるべく教化部長の見識と機能が慟いていたことになる。しかし、これに業を煮やした副総裁が考え出したことが、自らの意向がストレートに反映する機構改編、つまり「教規改正」であった。
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