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実相哲学を論じる部屋

126志恩:2014/03/20(木) 20:37:51 ID:.QY5jUA6
(つづき)

初心者様ー

>>うらやましいことに、若き日の雅春先生は幾人かの女性と深くかかわっておられたようです。
いくつかの罪悪感をおぼえながらも、享楽する生き方を、
若き日の雅春先生は肯定的に選択しておられたのです。<<

志恩ー
これは、雅春先生が、輝子奥様とご結婚される前の、若き日の若気の至りの話ですよね。
自伝を読ませて頂きましたから、私も、存じております。

生長の家をはじめられるずっと以前の、
雅春先生が、若い時、数人の異性と、深い仲になられたことがおありになったというお話。

「うらやましいことに」と、前置きされてますから、「ただ、うらやましいんでしょ?」

雅宣総裁は、若い頃、もてなかったんで、
異性と深い仲になれなかった。

おかわいそうに💦💦💦💦

(雅春先生のこと、あの人は、ねたんでいる。)

私も、実は、そうなんです。娘時代に、もてなかったもんですから
雅宣総裁と同様に、異性と 深い仲になれなかったんです。

この件につきましては、同状 相哀れむで、私は、雅宣総裁とハグして泣けますよ。

あれですね、この件は、もてもての訊けさんから、爪のあか でも 戴かれて
飲まれてみたら、いかがでしょうか?

そのあと、ごちゃごちゃ、長たらしく書かれたご文章は、
雅春先生が個人救済がお出来になられて、雅宣総裁は、お出来になれないという

長たらしい言い訳にしか、聞こえません。

「真理」とは、絶対的宇宙の法則であり、働きですから、
それを、信じて実行することを「信仰」するといい、

それによって、方便として病が癒されることがあったり、
人生の生きる目的を知り、悩みが解消し、
生き甲斐のある生き方ができるようになることを
「個人救済」というのではないでしょうか?

真理や教えを「利用する」という言い方より、
「信じて実践する」 という言い方のほうが、私はいいと思います。

個人救済というのは、教えの「方便の部分」でしょ?

縹様もおっしゃっておられましたけれど、肉体の病気を治しても、肉体は寿命が尽きたら
無くなるものでありますから、生長の家の教えは、物質を超えたところの教えですので、

肉体の病気を治したり、物質を保護したりするのが、目的では、ありません。

生長の家の目的は、久遠不滅の生命を自覚する事だと思います。

 先にいいましたように、個人救救済は、方便の部分ですので、

谷口雅春先生は、本当の趣旨を是非分かって欲しいと
それにつきましては、懇々とお書き下さってました。


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