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実相哲学を論じる部屋

113a hope:2014/03/11(火) 08:15:57 ID:cEpBaIdo

「全てと一体である事」   (義春さんのブログより)


「科学とは結果を決める事からはじまるのでなく、表れていることをそのまま観察することからはじまる」 

by 某大御所的な教授


光と言う所から感じた事を感じた事から観えてきたことをまとめてみます。


「現象無し」


生長の家ではこの現世をこう説かれていますが、これは物の見え方からも言える事なのです。

前にも書きましたが、例えば『赤』という色は、その物質が『赤』という色素が無いから、反射として観えるのであって、

実際のその【物そのもの】は『赤以外』が表れていて、我々の眼はその『影』を観ているのに過ぎないのです。


それは音もそうです。

音も音の波が鼓膜に当たった反射を感じて聞こえていると感じているのであって、

【音そのもの】を聞いている訳ではありません。

この現象の全てはおよそ影でしかないという生長の家で説かれている教えは、科学から観てもそうだと思います。


これを昇華していえば、人がこう表れて生きているというのは、無いものが表れているとも言え、

その無いものをあらわすには、その内部に【光】がなければ表れないとも言えます。

それだから、肉体は実相から観れば【無い】のであり、【無い】のであるから表れている、

これは仏教で言えば、現象は迷いから現れているとなると思うが、

【迷い】は実相から観れば【無い】のであるから、現象も無いと僕は感じています。

この迷いの奥にある【光】、それこそが人間の姿であるから、死んで肉体が無くなる、

それがそのまま消滅ではなく、影が消滅したに過ぎない。

それだから、実相から観れば亡くなった人と離れ離れになる事は決してなく、

むしろ現象の眼では離れ離れになっていると錯覚していたものから、霊は迷っていないとも言えます。

また、それだから、万物の実相は光そのものであるから、全てとは一体であり、離れ離れではありません。

だから自他の境というのは、本来在り得ない、離れ離れに見えるのは、影であり、

影だから現象に現れているかと僕は感じております。

(つづく)


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