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99復興G:2013/09/07(土) 22:37:25 ID:AB6RqYXc

<谷口雅春先生著 『無限供給の扉を開く』 より謹写 つづき>

 これは、 『古事記』 に於いては 「無目堅間(めなしかつま)の小舟(おぶね)に乗る」 というように書かれているのであります。これは、日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)様が鉤(つりばり)を失われて、それは御兄の命(みこと)から借りた鉤であるから、それを返さなければならない、というときに、魚に鉤を取られていて、取り返す道がない。どうにも仕方がないので、自分の佩(は)いていられた剣(つるぎ)を鍛(う)ち直して、五百本の鉤をこしらえて、

 「これで我慢して下さーい」 と、御兄君のところへ持って行かれた。御兄の命(みこと)は 「そんな代用品をいくら持って来ても駄目だ。もとの鉤を返せ」 と言われる。

 もとの鉤といったって魚が食って行ったものを取戻しようがないのです。そこで日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)は仕方がないのでもう五百本新しい鉤をこしらえて、合計一千本にして 「これでどうぞ我慢して下さーい」 と持って行かれたけれども、御兄の命は 「もとの鉤を返せ」 と言われる。

 そこで日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)は途方にくれて、海辺に立って泣いておられた時に、住吉大神、別のお名前は塩椎神(しおつちのかみ)――この神様は龍宮の大神でありますが、その龍宮の大神が出て来られて、 「如何(いか)にぞ虚空津日高(そらつひだか)の、泣き患(うれ)いたまう所由(ゆえ)は?」 と言ってお訊きになった。

   万教帰一を象徴する “目無堅間(めなしかつま)の小舟(おぶね)”

 “虚空津日高(そらつひだか)の……” というのは、御空(みそら)から天降(あまくだ)って来られたところの、日の輝く日の本の嫡嗣子(ちゃくしし)――即ち天津皇位(あまつみくらい)を継ぎたまう皇太子にあらせられるところの 「日嗣(ひつ)ぎ御子(みこ)」 がお泣きになっておられるというのは、ただ事でない、一体何事がございましたんでございますか、と言ってお伺い申し上げたのであります。すると、

  「これこれ云云(しかじか)、魚に鉤(つりばり)を食われて鉤が行方不明になってしまったのに、兄命(あにみこと)の火照命(ほでりのみこと)が “もとの鉤を返せ” と言われるので困って泣いているんだ」 とお答えになるのでした。

 すると塩椎神(しおづちのかみ)さまは、 「私に善き謀(はかりごと)がございます。 “無目堅間(めなしかつま)の小舟(おぶね)” というのにお乗せ申し上げますから、八重(やえ)の汐路(しおじ)の中に一条の水路がございます。その汐の路(みち)に沿うてずっとこの舟に乗っておいでなさいましたならば、龍宮海(りゅうぐうかい)に達します。

 龍宮海は實相の世界、生みの底、一切のものを創(う)み出す “創造の根底世界” だから、何ものも失われたものはないのでございますから、そこへ御案内申し上げましょう」 と言って、塩椎神さまは 「無目堅間(めなしかつま)の小舟」 を拵(こしら)えて御案内申し上げた。

 その 「無目堅間の小舟」 が、この十字であります。(註。黒板に十を書く)。十字はこれ、キリストの十字架でもあるし、これが少し動き出すと佛教の卍(まんじ)にもなるし、もう一つはげしく動き出して回転すると日の丸になる。

 神佛耶(しんぶつや)、佛教もキリスト教も神道も、 「無目堅間の小舟」 に乗れば、一つになるのであります。

 佛教ではこれを 「如来(にょらい)の願船(がんせん)」 とも言う。 『旧約聖書』 では 「ノアの方舟(はこぶね)」 となっています。こののりものの中心――十字交叉(こうさ)の一点が “無の門関” です。

 禅宗の公案の本に 『無門關』 というのがある。私は、 『無門關解釋(むもんかんかいしゃく)』 という本を書いたが、この “無” の門関を超えて、時空を超越する境に達すれば、人間は自由を得る。図解を見て下さい。(黒板に縦横十字の線を描き)

 この縦の線は時間である。時間には目盛がある。時間の目盛のないのが “目無(めなし)” 即ち無時間――未(いま)だ時間発せずであります。

 それから横の線は、横ひろがりの世界、空間を表しているのであります。(掌を聴衆に向け、指をひらいて、指と指との間に空間を作って見せながら) 空間はこう開(あ)けると、空間ができますね、(次に指と指との間を堅く密着して示しながら) こうして堅く空間が詰まって空間が無くなったのが “堅間(かつま)” 即ち無空間で、未(いま)だ空間発せずの 「絶対無」 (未発の中 <みはつのちゅう>) であります。

 この十字交叉(こうさ)の中心の無空間・無時間の 「絶対無」 の一点に入るとき吾々は時間に捉われず、空間に捉われず、自由自在を得るのであります。
<つづく>


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