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88復興G:2013/09/02(月) 07:10:13 ID:AB6RqYXc

   『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ― 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

         七十五

 「最早(もは)や人間の力では及ばず。神に直接お出まし願う」 という主旨がうたわれて、龍宮住吉本宮のこ造営がはじまった時、生長の家人類光明化運動なるもの、そのものにみずから顕れて頂き、それみずからのはたらきによって人類を光明化して地上天国を顕現していただく、という観方の運動観が唱道された時であったのである。それが顕斎(けんさい)の時代に入ったことを意味していると言ってもよいであろう。

 「招神歌(かみよびうた)」 によって 「吾が生くるは吾が力ならず、天地(あめつち)を貫きて生くる祖神(みおや)の生命(いのち)」 と歌われた時から、既に、はじめより宣言(のりごと)されていたことであったが、このような建立によって、それが心新たにさせられたと拝察するのである。

 機械は外から智慧と力を貰わなければ作動しないから、外からのつながりを切った時が停止した時であるが、赤ちゃんは、臍(へそ)の緒(お)を切って、外とつながらなくなった時、誕生ということになって、生長がはじまるのである。すでに内にすべてが備わっているのが生命であるのである。

 それ故、 「あなたは生長の家に入らなければ救われませんよ」 という扱い方は、相手の人を機械として扱っているということになるのである。

 「あなたの中に全てがあって、あなたの中にはじめからある生長の家が出て来て、生長の家に来られたのですよ」

 という扱い方が、はじめからある生長の家人類光明化運動によって生かされている生命であるとして扱っていること、拝んでいることなのである。

 「他(ひと)からすすめられたように見えていても、すすめられる運命はやはり、あなたの中の生長の家人類光明化運動なるものがみずから展開しているのです」

 ということもまた、生長の家人類光明化運動にすべてを托した観じ方拝み方、祝福の仕方であると言えるのである。

 「宗教によらなければあなたは救われませんよ」

 という扱い方は、外からのものに頼ることであるから、機械として扱っているのであり、

 「あなたは宗教をやってから生まれて来たのではないでしょう。もしも神がいるとすれば、はじめから平等に、完全に生かして下さっているのが自然なことですよ。宗教をやったものは生かすが、宗教をやらないものは生かさないという神がいるとしたら、

 “何故、平等に生んで呉れなかったか” という、不満と裁きと恨みしか出て来ないのですよ。生長の家は感謝の教えであるということは、はじめから平等完全に生かして下さっている神を発見したからなのです。むしろ、今日から “私には宗教は要らなかった” と思っていただく方がうれしいのですよ」

 という表現は、はじめからある生長の家なるもの、人類光明化運動なるものの、みずからなる顕現としての、いのちを拝んでいるということになっているのである。

 解放する運動であるということは、はじめのはじめから在りて在るものが、みずから目覚めてはじまっているということを認めることが出発点となっていることを意味しているのである。

 「神のものは神に」 「生長の家人類光明化運動のものは生長の家人類光明化運動に」 ということである。

 今、生長の家人類光明化運動なるものそのものが、それみずからによってあるべき相(すがた)に甦る時を迎えているのである。(1998.9.13)


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