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86復興G:2013/08/31(土) 07:07:17 ID:AB6RqYXc

   『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ― 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

         七十三

 「最早(もは)や人間の力では及ばぬ。神に直接お出まし願う」

 ということが主旨主願となって建立されたのが龍宮住吉本宮であった。

 神、實相は円満完全であるが故に、ご自分みずからに顕現する権能(ちから)を具有(ぐゆう)してい給うという。もっともはじめにして最大の神への尊敬、全托(ぜんたく)の美しさを顕わす象徴として建立されたと拝察されるのである。

 宇宙の大神イザナギの命(みこと)の宇宙浄化の御はたらきが住吉大御神となってあらわれられたそのままの霊なる働きが生長の家人類光明化運動となっているのである。そこには人間の力はどこにも無いのである。中身は、宇宙の本体であるイザナギの命であり給い、住吉大御神であるのが、生長の家人類光明化運動なのである。

 生長の家人類光明化運動と書いて、イザナギの大御神と読んでもよく、住吉大御神と読んでもよいのである。

 またそのことを潜在意識にたたき込むという必要はないのである。潜在意識は無い、と浄め終わったのが生長の家なのである。

 實相が自己展開して、教えとなり、諸々の行となっているのであって、自己展開には相手はいらないのである。

 實相の円満完全を自分の心に納得させるとか、潜在意識を相手にたたき込みをやるとかいうことの全く要らないのが、實相ということであり、それであればこそ、まことに實相は円満完全と言えるのである、というこのことは、まことに何度繰り返しても繰り返し足りない嬉しさであるのである。

 嬉しさとは如何に自分が要らないか、ということなのである。 「最早や吾れ生くるに非ず、生長の家人類光明化運動ここに在りて生き給うなり」 というのが、 「よろこびの光明化運動」 ということの中身なのである。

 生長の家人類光明化運動が神そのものであるということは、 「生長の家人類光明化運動よ、あなたのみ心の如く生かし給え」 ということでなければならないのである。

 神は渾(すべ)ての渾て、生長の家人類光明化運動は渾ての渾てということである。光明化運動は自己展開あるのみなのである。

 斯くの如きことを今私は自分の潜在意識にたたき込んでいるのではないのである。生長の家人類光明化運動が今ペンとなって輝いて顕(あらわ)れて動いているのである。光明化運動が全身となり、呼吸となって輝いているのである。

 「自分が光明化運動をする」 ということは、要らないことであり、有り得ないことなのである。

 「生長の家人類光明化運動の運動方針」 の一字一字は、神の自己展開であり、延長であり、神そのものなのである。

 神癒祈願の人型の 「實相円満」 と書かれているのは、その言葉を潜在意識にたたき込むためのものではないのである。

 實相円満なるものが、みずから顕れてその文字となって輝いているのである。

 實相はみずから實相するのみである。 「實相を實相たらしめよ」 という、きわめて自然きわまりなき姿であり、そこには祈る方にも祈りを受ける方にも自分は要らないのである。

 それ故、ただただ實相円満の光りにあずかるのが神癒祈願であり、受ける人の過去の心の成績や、先祖の成績を調べるなどということはなく、ただただ實相のそのまま円満を受くるのみなのである。

 「生命の實相の自性円満(そのままでえんまんなこと)」 を自覚した時に神癒となるという、ただただ實相を實相たらしめよ、というみ教えのひろがりがあるのみなのである。これが實相の成就ということなのである。(1998.9.11)


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