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復興G
:2013/08/27(火) 06:14:12 ID:AB6RqYXc
『神癒の展開としての人類光明化運動』
― 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
榎 本 恵 吾
六十九
「蓮華日宝王地観(れんげにっぽうおうじかん)」 なる神想観において、 「吾れ観世音菩薩、五蘊皆空(ごうんかいくう)と照見(しようけん)し、一切の苦厄(くやく)を度(ど)す」 と唱えたあと、
「虚空(こくう)中に宇宙大の大日輪(だいにちりん)浮ぶ。光明遍照(こうみょうへんじょう)實相世界ここなり 〈と念じ大日輪が宇宙一杯に充満せる有様を観じ更にその大日輪中に千葉(せんよう)の蓮華(れんげ)が開花せる姿を観じ〉ここ蓮華蔵(れんげぞう)世界なり 〈と念じて、その花の中心上に観世音菩薩の坐っている姿を心に描き〉 この菩薩は自分自身なり」
と念ずるのである。この菩薩がだんだんと近づいて来て自分とひとつに重なることを観ずることが大切であると書かれているのである。
この宇宙大の大日輪(だいにちりん)の中心に蓮華の中心に坐している観世音菩薩は天地万物一切のことごとくの一つ一つのものであり、それがそのまま尽十方無碍光如来なのである。
観世音菩薩は斯くの如きすがたにおいて観世音菩薩なのである。観世音菩薩は祝福礼拝の姿にましますのである。
神に対して反省させてやろうという事件は有り得ないのである。どのようにして祝福し礼拝しようかという事件しか有り得ないのである。それ故、自分を取り巻くすべてが観世音菩薩にましますということは、神の子たる實相身に対しては祝福礼拝のための姿であることしか有り得ないということなのである。
神癒祈願をする私に対して、申込者はすべて観世音菩薩であり、宇宙の中心坐に在(ま)します尽十方無碍光如来にましますのである。神癒祈願申込者の名簿は、尽十方無碍光如来の名簿であるということなのである。
このように観じさせて頂くとき、申込者からの悪念波を受けるなどということは決して有り得ないことなのである。
人類を光明化するという時、すべてのものは観世音菩薩であり、尽十方無碍光如来にましますのであるから、 「異類中行」 ではなく、光における、 「同類中行」 であり、同類どころではなく光りなる “ひとつ” なるすがたを生くるのみなのである。
人間は光の子にして常に光の中にあれば
暗きを知らず、
躓き(つまず)を知らず、
罣礙(さわり)を知らず、
かの天人が天界を遊行するが如く
また海魚が水中を游泳するが如く
光の世界に光に満たされ法悦に満たされて遊行す。
と聖経 『甘露の法雨』 には書かれているのである。
天地万物のすべては宇宙の中心に坐する重無礙(じゅうむげ)の存在であり、中心とは渾(すべ)ての渾てなることを意味しているのである。
斯くの如く観ずる時、そこにすべてが坐(ま)しますのであるから、最早(もは)や吾れが彼に対して光明化運動をするという相対的な姿ではなくなっているのである。このようなすがたを光りのすがたといい、光明化運動の光明とはこの “ひかり” のことを意味しているのである。
この宇宙大の大日輪は自分の内にあり、同時にその宇宙大の大日輪の中心に観世音菩薩が坐し給い、その観世音菩薩の中にまた宇宙大の大日輪があるのである。重限無礙(むげ)同時現成なのである。
全宇宙を光明化すると言えども、その全宇宙は自分の内にあるのである。自分と宇宙との分裂相対は無いのである。
畏(かしこ)くも宇宙の大神イザナギの命(みこと)が光明遍照の實相の世界に禊ぎ祓い給いて、その宇宙浄化の御はたらき顕れて住吉大御神となり給い、宇宙浄め終りて天照大御神出でましぬ、と言えども、これすべて吾が内なる神の国の消息なのである。
吾が内なる神の国とは高天原(たかあまはら)のことであり、全宇宙も、イザナギの命(みこと)も、住吉大御神も、天照大御神もすべて吾が内なる實相世界のことなのである。しかも同時に、その内の内に自分があるのである。同時現成なのである。この實相の消息の上に立って行なわれるのが道元禅師の言われた 「証上(しょうじょう)の修(しゅう)」 ということなのである。生長の家の人類光明化運動もまた、証上の修の姿として輝いているのである。(1998.9.7)
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