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80復興G:2013/08/25(日) 07:25:16 ID:AB6RqYXc

   『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ― 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

         六十七

 大調和という時、あるいは大懺悔(だいざんげ)、あるいは大祭(たいさい)等々という時、 「大」 とは何を意味しているのであるか。

 それは神が為し給う、神によりて在(あ)り給うところの自分の要(い)らない消息を意味しているのである。それ故、はじめのはじめから在るものであり、途中から決して無くなることのないことを意味しているのである。

 神によりて在るところの懺悔とは如何なるものであるか。神は罪を犯し給わない故に、暗(やみ)なる罪を消すという意味での懺悔というものはあり得ないことであるが故に、大懺悔とは、光りが光りすることでしか有り得ないのである。それを仏教では 「無罪相(むざいそう)懺悔」 ともいい、また 「荘厳(そうごん)懺悔」 とも言い、 「破壊心識(はえしんしき)」 ともよんでいるのである。

 「罪は無い」 ということが無罪相懺悔なのである。罪自身が 「私は無いのです」 とみずからの消え切りの、澄み切りであり、そこにはただただ神のみが渾(すべ)ての渾てなる荘厳なる相(すがた)があるばかりであるが故に、 「荘厳懺悔」 と言うのである。

 「破壊心識」 とは、心識すなわち自我意識がみずから無いと、みずからを破壊して、消え切りの澄み切りであり、神のみ渾ての渾てである相(すがた)である。即ち、これ大なるもの神なるもののみであるが故に、大懺悔と言うのである。

 「畏(かしこ)くも宇宙の大神イザナギの命(みこと)筑紫(つくし)の日向(ひむか)の光明遍照の實相の世界にみそぎ祓(はら)いたまう」 とは、大懺悔中の大懺悔であり、全宇宙そのものの大懺悔であると言えるのである。

 その大懺悔のはたらきが住吉大神となってあらわれて、神癒の展開としての生長の家人類光明化運動となっているのである。それ故、生長の家人類光明化運動は宇宙みずからの大懺悔運動であると言わなければならないのである。

 「住吉大神宇宙浄化を祈る神想観」 とは大宇宙みずから、住吉大御神みずからが為し給う祈りであり、みずから為し給う大懺悔であり、大宇宙みずからの輝く鳴りひびきとして 「アーオーウーエーイー」 が唱えられているのである。

 「住吉大神宇宙を浄め給う」 と唱えている時、住吉大御神ご自身が自分となり、この声となって鳴りひびいてい給うということなのである。

 「生長の家人類光明化運動」 は生長の家の大神、それ自体のみずからおのずからなる自己展開として輝き、ひろがっているのである。

 「宇宙を浄め給う」 と言えども、大宇宙みずからの大懺悔であり、大宇宙みずからの禊ぎ祓いなのである。それ故 「住吉大神宇宙を浄め終りて天照大神出(い)でましぬ」 であり、大宇宙それ自体が天照大御神それ自体の相(すがた)となっているのである。大宇宙それ自体の天照大御神的甦りのはたらきが、住吉大御神の宇宙浄めの御はたらきとなっているのである。

 宇宙の大神イザナギの命(みこと)と天照大御神と住吉大御神は三つの呼び方による一つなる神にましますのである。

 これらは斯(か)く書きたくなったというだけのことであって、なにか内から覚めるようにして湧いて来る想いなのである。覚え書きというのは、外のものを覚えるためのメモであると同時に、内なるものの目覚めとして書きたくなったもの、というほどの意味合いなのかと想いつつ書きつらねている次第であって、あまり深い理由、証拠というものによって書いているのではないのである。(1998.9.5)


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