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:
復興G
:2013/06/26(水) 15:09:32 ID:AB6RqYXc
『神癒の展開としての人類光明化運動』
―「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」にての覚え書―
榎 本 恵 吾
三
来たる世紀は 「心の時代」 であるとか、「宗教の時代」 であるとか言われて久しいが、その心で悩み抜いたのが谷口雅春先生であり、その心を超えたのが尊師であり、生長の家なのである。宗教も心によってあるのであるから、心を超えたということは宗教をも超えたと言えるのである。すべてを超えたのが生長の家なのである。すべてを超えて、はじめのはじめの一つなるものに還ったのが万教帰一ということなのである。万教帰一とは万物帰一ということなのである。一つであることがすべてのすべてであることなのである。
「国際平和信仰運動」 ということにおいても、世界が一つである實相なるものの上に立ってのことであり、バラバラなるものを一つにするというのではなく、一つなるもののあらわれ又は展開としての世界平和あるいは世界調和ということであって、明るさと平安なるよろこびがその運動には満ち満ちているのである。
それははじめのはじめが今ここに生きている明るさなのである。
聖書の 「ヨハネ伝」 の冒頭に 「はじめに言葉あり」 と書かれているが、「はじめ」 とは英語で 「Very Beginning」 と書かれているのであり、これは 「はじめのはじめ」 ということであり、一つであることを意味しているのである。
神癒祈願の申込書を前にして祈っていて、この 「五千名」 の人々の苦しみをいっぺんで消せないものだろうか、いや一度の祈りで全宇宙の苦しみを消せないものだろうか……、と想った時、谷口雅春先生がニコニコとした表情で神想観の中に観じられて、
「それをやったのが私だよ」
「それをやったのが生長の家だよ」
という言葉をたしかに私は聴いたのである。これこそが、はじめにあるコトバであり、はじめに帰ったすがたであると拝察されたのである。そのよろこびに満たされて出発したのが、生長の家人類光明化運動であり、国際平和信仰運動なのである。一つなるもの、完全なるもの、光明なるものとは、このはじめのはじめの意味するものなのである。即ち實相ということである。
谷口雅春先生と縁のある人々は、本によってであろうと、同時代に生まれたというだけでも、縁を得たという魂はすでに、「それをやったのが私だよ。それをやったのが生長の家だよ」ということを知っているのであると想われるのである。このお言葉を私はどれだけ受けとめ得たかということは別として、なぜ私たちは生長の家でなければならなかったのか、ということの根本に、このお言葉の中身をその魂が知っているからなのだ、ということだけは、はっきりとしたことであるのである。生長の家にご縁をいただいているすべての魂に無限の敬意をもって接せずにはいられないのである。
『生命の實相』 は永遠のベストセラーであると仰がれるゆえんは、bestなる世界において、bestなる著者が、bestなる読者を拝んで書かれたものであるからなのであって、一冊でもbest sellerベストセラーなのである。
『生命の實相』 の本論が 「生命の實相の自性円満(そのままでえんまん)……」 ということからはじまっているということは、「これから生涯にわたって私の書くすべての説法は救うための本ではありません。ただただ祝福礼拝のための本であります」 ということの偉大にして荘厳きわまりなき宣言であると言わなければならないのである。bestとbestであればこそ通い合い、通じ合うということが現成しているのである。(伝わり方の研究) (1998.7.3)
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