[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
web誌友会参考文献板
65
:
復興G
:2013/08/11(日) 07:09:29 ID:AB6RqYXc
『神癒の展開としての人類光明化運動』
― 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
榎 本 恵 吾
五十三
ある理事が大聖師谷口雅春先生に、堕胎児(だたいじ)のある母親で、罪の意識に圧倒されてノイローゼ状態になっている人が多々あるので、その人たちに対して、 「あまり執われることはないのです。むしろ、水子は観世音菩薩であって、こちらを守護して下さっているのですよ、という風に指導しているが、これでよいでしょうか」 という意味の質問をしたところ、大聖師は烈火の如くお怒りになった語調で、
「あなたは男らしくない。本当のことを認めないで、誤魔化して、事実を事実としてはっきりと認めないでいる。本当のことを知らないのならばノイローゼのままでいて苦しむ方がよいのです。本当のことを知らないのなら救わない方がよいのです!!」
という意味のご返事であったことは、知る人ぞ知るところの有名なる大聖師と弟子とのメモの往復の事実である。
しかしながら、 「本当のこと」 とは現象的な、 「堕(お)ろした」 ということなのであろうか。このメモの往復の中には、 「實相」 という言葉は一度も出て来ないのである。
ここで大聖師がこのようなお言葉を吐かれざるを得なかったのは、この質問の中に 「實相」 という言葉が出て来ないことにあるのであると拝察するのである。
現象無しであればこそ、實相独在であればこその 「罪なし」 なのである。ここに言われている 「本当のこと」 とは 「實相」 ということなのである。その 「現象無し」 を通さずに 「罪なし」 ということは絶対に有り得ないことなのである。
なるほど、子供を十人、二十人堕ろした人でも、笑いの練習をし、神想観で 「もはや吾れ生くるにあらず、神のいのちここにありて生くるなり」 と感謝し、聖経 『甘露の法雨』 では 「犯されたる罪も無く報いらるべき罪もなきことを教えよ」 という言葉さえ頂くのである。
しかしながら、これはすべて 「本当のこと」 を知ったからこそなのである。この 「本当のこと」 すなわち實相なるものを知らないままで、 「罪を犯しているけれども、気にしないで喜ぶ」 ということは絶対に有り得ないのである。なぜなら 「罪を犯せていない」 というその感じが 「喜び」 であり、 「感謝」 のもとであるからなのである。
それ故に、 「本当のことを知らないのなら救わない方がよいのである」 「その方が早く本当のことに目覚める機会を与えたことになるのである」 と言われているのは自然なことなのである。
「生長の家の偉大なる唯神(ゆいしん)實相の教えにより、實相は未だかつて、犯された罪もなく、報いらるべき罪もなき本当のことを知らされた私たちは、どのような人が現れても 『罪なし』 と言えることがどんなに、光栄なことであるか……」
という感謝、礼拝の心をもって、指導させて頂けていることを先ず、述べるべきであったと私には想えるのである。
尊師は實相抜きの話に対しては、實相抜きの話で応対されているのであり、弟子としては、自分の心だけの答えを頂いたというべきであろう。現象ありの質問に対しては、現象ありの答えしか帰って来ないのは自然なことであろう。もし 「實相」 ということにおいて、ということになれば、 「よし」 とのお答えに相まみゆることが出来たはずなのである。
なぜならば、大聖師みずからが、
『實相妙楽宮地蔵○○童子』
として、拝み給うているからである。
まことに、本当のこと(實相)を知らないままで救われるということの有り得ないことは永劫に変わらざる自然の自然なることなのである。(1998.8.22)
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板