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復興G
:2013/08/10(土) 02:53:37 ID:AB6RqYXc
『神癒の展開としての人類光明化運動』
― 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
榎 本 恵 吾
五十二
流産児用の霊牌(れいはい)は 『實相妙楽宮(じっそうみょうらくぐう)地蔵○○童子』 となっていて、○○のところに名前を書くことになっているのは周知の通りである。
さて、○○に関して、男か女か解らない場合はどうしたらよいか。命日の解らないのはどうすればよいか。あるいは、血の塊が下りたが、あれは流産児であったか、どう判断すればよいか。あるいはブドウ児でも流産児となるのであるか。また、霊牌は何枚書くのがよいのか。という質問はあるが、この 「實相妙楽宮地蔵」 というのは、どなたが付けられ、またどのような意味であるのか、ということを質問に来た人に未だかつて一度も私は出逢ったことがないということは、まことに残念なことにすら想われて来るのである。
祀り方についての悩みはすべて、祀られる人を神と観ていないところから来るということである。神であるという實相を観ないが故に、やり方によって、相手が迷うのではないか、あるいは救いを求めて、まつわりついて来るのではないか、というようなことにもなりかねないのである。
聖経 『甘露の法雨』 を読誦すること自体が罪なき實相、すなわち 「犯されたる罪もなく報いらるべき罪もなきこと」 を読誦しているのであって、それ以外のことは何も書かれていないのである。
現象的に見るならば、堕胎児は何故、堕(お)ろされる運命となったのか、前世で自分自身が堕ろしていた、その因果応報で堕ろされる運命となったということになるのである。同じ親に宿りながら、一方は生んで育てられ、一方は堕ろされるという、運命の差はどこにあるか、ということになると、現象(因果)を認めている限りは、前世に差があったからだということにならざるを得ないのである。
それ故、親が、現象を認めて、自分が悪かった、悪かったと言っているだけでは、因果の流れから超出することは永遠に出来ないのであって、ただただ、悪いものどうしが親子となって波長が合って、お互いに 「すまない。すまない」 と雲と雲とがあやまり合って雲の生活を永遠につづけてゆく以外は有り得ないのである。永遠に青空太陽としての新しい出発は出来ないのである。
今ここに神の造り給うた、殺し合いの永遠に有り得ない、罪を犯せていない、青空、太陽から出発するのが、聖経 『甘露の法雨』 の中に説かれている、真理の供養ということになっているのである 『實相妙楽宮地蔵』 という見方である。
實相から観れば、殺した親もなければ、殺された子も無いのである。それ故、妙楽宮の 「宮」 は親の子宮とみることが出来るのである。現象を観れば、屠殺場であり、地獄であるはずのところが 「妙楽宮」 すなわち 「極楽の宮」 となって、針の先ほども汚れていない實相が拝まれているのである。また、地蔵とは、如来であり、大仏であり、前世で罪を犯したという不完全は、完全に払拭されているのである。
ここに聖経 『甘露の法雨』 の中身と同じすがたが拝まれているのであり、そのために聖経 『甘露の法雨』 が誦(あ)げられるのであり、それでこそ、聖経とよばざるを得ないのである。
すべてに今あてはまらない真理というものは有り得ないのである。何の問題をもって来ても、唯神實相への堅信はゆらいでいないのが、尊師のお姿であり、生長の家人の道なのである。(1998.8.21)
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