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62復興G:2013/08/08(木) 06:42:24 ID:AB6RqYXc

   『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ― 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

         五十

「空中遊歩の神人」 とは、 「生長の家人類光明化運動」 の人格化した表現である。

 説くものなくして説かれ、伝えるものなくして伝えられ、聴くものなくして聴かれ、伝えられるのなくして伝えられる、消え切りの、澄み切りの、聖なる消息である。

 来たって来(きた)るところなく、去って去るところなく、過去、現在、未来にあらず、伝道はどの時点において行われるのであるか。

 過去・現在・未来に依らず、自によらず、他によらず、伝道はみずから伝道であるのである。在りて在る伝道。時空超脱(じくう ちょうだつ)、自他超脱の久遠の今。渾(すべ)ての渾てなる今ここに、みずから、おのずから鳴っている、輝いている伝道があるのである。

 自も無く、他も無く、時間なく、空間なく、伝道みずから消え切りの、澄み切りの聖なる輝きそのものである 「光明」 なるものの消息である。

 消え切りの、澄み切りであるが故に、久遠不滅なる 「光明」 がここにあるのである。

 ゼノンの運動の否定に依るまでもなく、運動自体が 「私は無いのです」 と、みずからの消え切りであり、澄み切りの聖なるよろこびの輝きのみがある 「空中遊歩の神運動」 が 「生長の家の人類光明化運動」 なのである。

 如何にして、ものが移動出来るか。運動が可能であるか。 『神誌』 は如何にして、こちらから相手に渡るのか。受講券は如何にして、自分から相手に移動し得るのであるか。

 ゼノンの “飛矢は飛ばず” ということから言えば、 『神誌』 は移動せず、 「受講券」 も相手に渡らず、ということになるであろう。

 五官の世界はみずから消え切りであり、時間も空間もみずからの消え切りである、實相の妙有(みょうう)において、一切がそこに巻きおさめられている 「久遠の今」 において、一時一切時、一処一切処、一仏一切仏、一即多、多即一、中心帰一の渾(すべ)ての渾てなる一より自在に放射し、顕わし得るところの真空妙有なるいのちの消息において、自と他とを結ぶ運動は運動として自在に成立するのである。時空超脱の實相、久遠の今においてのみ運動の成立は説明し得るのである。

 斯(か)くして、運動は成り立つことも自在であり、成り立たないことも自在であり、まことの意味において、運動自体が 「私は無いのです」 とみずからの消え切りであり、澄み切りの、聖なるよろこびの妙有なのである。

 神の運動であるということは、實相の運動である、ということである。その運動は實相においてのみ説明し得るということは極めて自然なことであるであろう。

 運動に参加することにおいて、

「吾れ神を選びしに非ず、神吾れを選び給いしなり」

 ということは、自分というものがあって、その自分を神が選びとられた、ということではないのであって、自分は無いということであり、神のみ渾ての渾てであるということでなければ、何の意味もないことである。そこにあるのはただ単なる激励の言葉があるのみなのである。實相生命に対して激励は不要である。ただ拝みのみがあるのみである。

 自分は無いということは、全現象界が無いということであり、實相のみ独在ということであり、神のみ在(いま)すということである。

 そもそも、 「神吾れを……」 という、その神が、神と言える神であり給うかどうか、ということである。全現象界(自分)の、みずからの消え切りなくしては、實相は無く、神もまた、神ならざる神となってしまっているのである。(1998.8.19)


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