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53復興G:2013/08/01(木) 08:00:40 ID:AB6RqYXc

   『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ― 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

         四十三

  『神癒の展開としての人類光明化運動』 であるということは、その 「運動論」 、その 「運動方針」 を読むだけで神癒がもたらされる、ということを意味しているのでなければならないのである。

 その試みの第一歩として 『試論・波状光明化への道―わが内なる神に捧ぐるレポート―』 を試みたのである。

  「神癒」 とは如何なるものであるか。 「生命の實相の自性円満(そのままでえんまんなこと)」 を自覚したときに起こるところの 「よろこばしき何か」 であることを再びここで確認しておきたいのである。

 ここに全宇宙の神癒の現成(げんじょう)をすすめる運動である以上、全宇宙的 自性(じしょう)円満性を祝福礼拝出来る運動であることがその出発点でなければ、神の運動、すべてのすべてなるものの運動という訳には行かなくなるのであり、神癒の 「神」 が成り立たないことになるのである。

 尊師は 「既に神はすべてを救い給うたのである」 と言っておられるのであり、神ご自身は「はじめのはじめから癒やさなければならない世界は創造(つく)っていないのである」 と世界をあがめ給うているのであり、これが実相なのである。

 ここにまた再び、それならば何故に、 「人類光明化運動」 即ち 「地上天国建設運動」 が必要なのであるか、ということになるのである。むしろ、現象は無いのであれば 「地上」 もなく、したがって地上に天国を建設する運動も無いのではないか、ということになるのである。

 それはまことにその通り以上なのである。どのような姿であれ、無いものは無いのであり、無いものを無いとしたところに、実在があるのであり、自性円満の實相があるのであり、これは永劫に変わらざる真理なのである。

 それ故、實相の自性円満からのみ 「運動」 の意義は拝まれなければ、遂に 「神癒の展開」 即ち神なるものの運動とはならないことになるのである。

 そこに 「人類光明化運動」 「地上天国建設運動」 のみずからなる消え切りの、澄み切りの、よろこびの輝きを拝まなければならないのである。

  「人類光明化運動」 は、 「地上天国建設運動」 は “私は無いのです” との、みずからの消え切りであり、澄み切りの、よろこびの輝きそのものである、その聖なる姿に、相(あい)まみえなければならないのである。

 ここに 「人類光明化運動」 の、 「地上天国建設運動」 の 「筑紫(つくし)の日向(ひむか)の光明遍照の實相世界」 に於ける禊(みそ)ぎ祓(はら)いの姿を硯るのである。

 ここに 「人類光明化運動、人類光明化運動に非ず、是(これ)を人類光明化運動という」 「地上天国建設運動、地上天国建設運動に非ず、是を地上天国建設運動という」 態(てい)の、全宇宙的、全地上的神癒なるもの、神なる癒しそのものである、甦りそのものである運動の姿を先ず認めて出発することが出来るのである。

  『人類光明化運動』 という言葉、 「地上天国建設運動」 という言葉そのものが神であり天国であることを拝むのである。

 神癒は、ここに見よ、彼処(かしこ)に見よと、外に求めるものではないのである。白分が神癒そのものであり、世界が神癒そのものであり、 「人類光明化運動」 が神癒そのものであり、 「地上天国建設運動」 そのものが神癒そのものであるのである。

 それが生命の實相の自性円満を拝む、生長の家のあらゆる運動の、はじめであり終わりであり、すべてのすべてなのである。(1998.8.12)


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