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46復興G:2013/07/25(木) 07:24:33 ID:AB6RqYXc

   『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ― 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

         三十六

 故藤原敏之先生の話によると、大聖師谷口雅春先生のご講習を二回目に、尾道の道場で受けられた時のことであるが、その時は、谷口輝子先生もご一緒で、椅子に坐っておられる輝子先生のお姿を見ただけで泣けて泣けて、涙が滂沱と流れるのをどうしようもなかったそうである。

 やがて、輝子先生が先ず演壇に立たれて、前講のようにお話され、日常の大聖師のお姿を讃えて讃えてお話しされて話を終えられたのである。

 その後、すぐに大聖師が演壇に立たれたかと思うと、いきなりマイクを両手でつかんで

  「僕はそんな立派な人間じゃないんだー!!」

 と言って号泣されたのである。

 「人間で、自分の今までやって来たことによって、これでよいと言える人が果たしているでしょうかッ」

 と言われてまたお泣きになったそうである。

 それで尊師は、その日のご講習はとりやめにされたかというと、そうではないのであって、何とそのお姿を想うとき、輝きに満ちていられることであろう。何十年たっても、藤原先生の中ではその尊師のお姿はますます輝きを増しつつ、その日のご講演が想い出され、甦るのを感じていられるようであった。

 私は吉田國太郎先生に、十八歳の時に本部で個人指導を受けたことがあったが、革表紙の 『生命の實相』 を、まるで輝く宝物を持つように、抱きかかえるようにして個人指導室に入って来られた。しばらくして、

  「本当に生長の家やりたいんだったら、魂の底からすべてをぶちまけられる先生を一人でいいからつくりなさいよ」

 と言って下さったのであった。

 生長の家では、大聖師の方が先ず、

  「私は、心を自分の力で、改心してからでないと救われないのだったら、私は到底救われない。改心しないままで救って下さる神が、私は欲しいのです」

 と、人類の心を代表して、ぶちまけられているのである。

 そして、その神を発見されたよろこびが、

  「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)……」
 という感謝の歌となったのである。

 そして、荘厳きわまりなき、ご臨終の際の

 「迷いなし、罪なし、病なし。これが生長の家の根本真理であります……」

 というお言葉となったのである。

 浄心行において、心の底の底なるものをぶちまける、書いて消すといっても、この大聖師の言われたほどにまで、はっきりとぶちまけた人はあるであろうか。

 吉田先生もおそらく、尊師谷口雅春先生にいのちの底からすべてをぶちまけて、そして、そっくりそのまま受けとめていただけた有り難さというものを昧わった弟子の一人であったのであろう。

 尊師もまた、終戦の直前に、巡講先の旅館で、吉田先生に、

  「このままでは、日本は敗ける」

 ということをはじめて、涙ながらに話されたそうである。 「皇軍必勝」 の短冊を二万枚もお書きになられて出征する人々を送り出されて、言葉の力をもって必勝を念じつづけられたお方が、はじめて語られたお言葉であったという。

 しかし、そこには師の中に飛び込んでしまっている先達の姿を想い、うらやましさを憶えるのである。(1998.8.5)


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