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38復興G:2013/07/20(土) 09:47:35 ID:AB6RqYXc

   『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ― 「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

         三十一

 はじめは、生長の家本部だけに神癒祈願部があり、そのうちに宇治別格本山でも開設することになり、神癒の社である入龍宮幽斎殿に祈願部を置くことになり、その初代の部長を勤められたのが、尊師谷口雅春先生と大層親交のあった、教化部長を歴任されたあと宇治に来られていた、故小嶋博先生であった。

 私が本部から転任して来た時には、すでに個人指導部長をして居られた。私は練成部におり、小嶋先生は個人指導部だったが、部屋が同じだった関係もあって、この先生から尊師谷口雅春先生のエピソードなど、沢山お聴きすることが出来たのである。私は根ほり葉ほりして、一年ほどつきまとっていたような気がする。そして、二年たったある日のこと、私は感動して、

「小嶋先生のような人は、まさに谷ロ雅春先生の直弟子ですね」

 と思わず言ったのである。すると小嶋先生は感慨深げに、静まった雰囲気がただよって

「いや、先生は僕らのことを弟子だと想っておられないよ」

 と言われたのである。一呼吸あって、いぶかしがる私を見て、

「神だと想っているよ」

 と言われたのである。もう少しで小嶋先生の眼には涙が出そうな様子だった。

「本当に先生の拝みは大変なもんだよーッ」

 と慨嘆されたのであった。

 この人はよく、観世音菩薩の観世音とは 「完全音」 だと言っておられたが、生長の家の本尊は観世音菩薩であり、尽十方無礙光如来であり、その輝きに包まれながら、今私の前に居られるのだ、と想うと

 私には、この人の尊師谷口雅春先生より浴している恩というものは 「完全恩」 なのだな、と想わせて頂いて、私もまた合掌したい気持になったのであった。

「生命の實相の自性円満を自覚すれば……」

 からはじまる聖典 『生命の實相』 は、自性円満なる読者の實相生命を礼拝して書きはじめられていることを意味しているのであり、尊師ご自身

 「私は自分自身が罪の子ではなく、神の子であると解った時、すべての人も同じ罪なきものであることを拝みたくなった。しかし、いちいち拝みに行く訳には行かないので、本で拝んだのである」

 という意味のことが、その著 『美しき生活』 の中には書かれているのであり、気がついてみると自分も、すべての人から拝まれていたのであるとも書かれているのである。

 さて、総裁谷口清超先生は、大聖師谷口雅春先生より法燈を継承され給うたのであるが、 「何を継承されたのであるか」 ということは、いつも心あらたに想わしめられることである。

 結局のところ、ここまで書きとめて来たことは、何を継承されたのであるかということが根本テーマとなっているのではないかと想われて来るのであり、そのためには、そも大聖師谷口雅春先生が如何なるお方であり給うたのか、生長の家とは如何なるものなのであるか、ということから、はじめさせられていたのではないか、と今朝、早朝行事の中で想ったことであった。

 そのような意味において、大聖師のいのちに、先達がどのようにふれておられたかということは、私にとって、そのエピソード、話は宝物となっているのである。(1998.7.31)


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