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34復興G:2013/07/17(水) 10:35:40 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 この事件は、マリアにだけあったのではないのであって、群衆にも罪なき事件であったのである。内なる神性を拝まれ救われたのは、マリアだけではないのである。群衆も救われたのである。マリアは救われたが、群衆は救われない、という片手落ちなことをイエス・キリストは満足され給うであろうか。生きとし生けるものの、救われずみの實相なるもの、大調和なるものがそこに拝まれていたのである。

 現象界は、やったらやり返される世界であり、蒔いた種は刈り取らなければならず、一つの苦しみを与えた罪は一つのその同じ苦しみによって贖(あがな)わなければ消えない世界である。それは大地を打つ槌がはずれても、この法則からはずれることは出来ないのである。

 しかし、ここにやっていない世界、やっていない自分があるとしたならば、世界は贖いの歴史は要らないのであり、人間は贖いの人生は必要ではなくなるのである。

 そのやっていない世界、やっていない神の子なる人間、實相なる世界、實相なる人間を発見したのが生長の家であり、永遠に、世界から贖いの歴史を終わりにさせたのが生長の家なのである。

 いくら新しい種を蒔こうとしても、既に過去において犯された罪によって汚染されてしまっていて、永遠に新しい、けがれなき、贖いの必要のない種を蒔くことは出来ず、たえず、過去をひきずり、過去にひきずられていた歴史は終わりとなったのである。

 戦争によって民族的な罪を贖おうとするといわれる、その戦争はまことに必要がなくなったのである。

 二十一世紀は、まことの戦争の終わりの世紀のはじまりとしたいものである。(1998.7.28)


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