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197
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復興G
:2013/12/16(月) 14:32:00 ID:AB6RqYXc
『神癒の展開としての人類光明化運動』
― 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
榎 本 恵 吾
百四十一
何ごとのおわしますかは解らないのであるが、「吾れ今、神癒(しんゆ)の社(やしろ)、無の門関に坐して、癒(いや)しなる、甦(よみがえ)りなる大いなるものの中にいることを感ずる」 という安らかにして安らかなる想いの湧くのを憶(おぼ)ゆるのである。たしかに神秘なるあるものの中に、吾れもまた神秘なる存在(もの)としてあることを嬉しく想い、座を解いて書きつけざるを得ないのである。
祈願の申込者と偕(とも)に、すべてのものと偕にその大いなるものの中にいる、ということも書きつけておきたくなるのである。これは私の大いなる発進の基なるものを成していることを想うのである。
「吾れはまた全宇宙という社(やしろ)すなわち神癒なるもの、甦りなるものの中にいる」 ということも想えるのであり、不思議な想いであるが、宇宙すべてとひとつとなって大いなるものの中にいると同時に、宇宙をすべてのすべてとして、大いなるものとして、その中に自分が抱(いだ)かれていることも想えるのである。そして、「これでよい」 という安らかなるものに満たされているのである。
「祈願申込書に書いてある祈りの内容はすべて私が摂取する。ただ實相の円満完全を祈れ」
という声を内にたしかに聴いたのである。そして、申込者と一体である相(すがた)において龍宮海に入り、龍宮に坐して本来の實相(じっそう)の姿を観ずることが浄まるということだと拝察しているのである。それ故に、入龍宮幽斎殿における神想観では、次のように念ずるのである。
「吾ら現象界の妄想悉(ことごと)く浄められて本来の如意自在(にょいじざい)の實相顕(あら)わる」
“吾ら” となっていることは却ってこの場合、一体のいのちということをあらわしているのである。それ故、つづいては、一体であることにおいての今度は 「吾れ」 となっているのである。すなわち
「わが全身如意宝珠(にょいほうじゅ)なり、一切の宝、吾が掌中(しょうちゅう)にあり」
と。この吾れはすべてとひとつなる吾れなのである。
入龍宮幽斎殿(にゅうりゅうぐう ゆうさいでん)は 「神癒の社(やしろ)」 となっているのである。これは 「社」 なるものが癒しそのものであるということなのである。社の中に入る、ということは、ここにおいては癒しの中に入ること、甦(よみがえ)りの中に入ることを意味しているのである。そして宇宙全体が神なる癒しの中にあると同時に、宇宙全体もまた癒しそのものであり、吾れを包んでいるのである。
この意味において、「世界平和の祈り」 の中の、神の愛が 「全地上を覆(おお)い」 というその蔽(おお)い具合の中身の安らかさ、いうことを想わざるを得ないのである。
また、 「伊勢神宮の神前(しんぜん)に於ける神想観」 の中の
「畏(かしこ)くも宇宙の大神イザナギの命(みこと)筑紫(つくし)の日向(ひむか)の光明遍照の實相の世界にみそぎ祓(はら)いたまう。
その宇宙浄化の御はたらき現われて住吉の大神となり給う。
…………
天照大御神われに流れ入り給いて、その愛の霊光燦然(れいこうさんぜん)として宇宙を照らしたまい、その光いよいよ輝きを増して全人類を引きつつみ、全地上既に愛と平和と地上天国を実現せり」
という。これは結局、イザナギのミコトが全宇宙を蔽い給うていることをあらわしているのである。そのイザナギのミコトの御はたらきが 「神癒」 ということになっているのであった。
宇宙の大神とは、宇宙が大神であり、大神が宇宙である。宇宙それ自体のみずから、おのずからなる、それがそれらしくある宇宙自体の甦りが、畏くも宇宙の大神イザナギのミコトの禊(みそ)ぎ祓(はら)いとして表現せられているのである。(1998.11.18)
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