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18復興G:2013/07/03(水) 05:44:52 ID:AB6RqYXc

   『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ― 「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

         十四

 誰が言い出したものか、生長の家の説く真理には、縦の真理と横の真理とがあるということを言われるのを時々ではなく、生長の家の常識のように聴く場合が多いのである。

 横の真理を説くということは、心の法則を説くことであり、いわゆる三界唯心所現を説くことであり、現在意識や潜在意識の話などもこれに当たっており、しかし、これは現象世界のことなのであるが、一応現象の法則として、現象を認めた上での話である、というのである。

 これに対して、縦の真理とは現象無しを説き、そして、實相の独在を説くことであるということになっているのではなかろうか。

「あの人は縦の真理を説く人である」

とか

「あの人は横の真理を説いた」

と云う場合は、この分け方をしていることになっているのではないかと想われるのである。しかしながら、尊師谷口雅春先生が 『生命の實相』 においてお示しになっていられるのは多少趣きを異にしているのに気づかされたのである。

 なるほど、生長の家の説く真理には縦の真理と横の真理とがある、ということは同じであるが、その説明は、尊師は縦の真理と横の真理とがあると言われたのであるから、その説明の順序としては、縦の真理からはじめられるのが順当であると想われるのであるが、ここでは違っていて 「横の真理とは」 と、横の真理の説明が先にされているのである。( 『生命の實相』 第十七巻の 「はしがき」 など)

 その説明によれば、横の真理とは三界は唯心の所現ということ、即ち、現象無しと悟ることである、と 「現象無し」 が横の真理であると説明されているのである。

 そして、縦の真理とは、人間は久遠不滅の神のいのちそのままである、と悟ることであると説明されているのである。即ち實相の独在を悟ることが縦の真理である、と説明されているのである。

 つまり、横の真理は 「現象無し」 であり、縦の真理は 「實相独在」 ということなのであって、現象を多少でも認められた部分は縦横の説き方の中には入っていないということなのである。 「現象無し」 「實相独在」 で縦横がつくされているということであって、私たちは通常 「現象無し、實相独在」 という順序で受けとっているのであるから、この通常の順序にしたがって、横の真理すなわち 「現象無し」 から先に説明されたものと拝察されるのである。

 それにしても、 『生命の實相』 の中には、私たちが通常よく耳にするほどにはひんぱんには縦横ということが説かれていないことを 『生命の實相』 を全読した方ならば気づかれるにちがいないのであるが、ひとたびご説明されるとこのようにはっきりとご説明下さっていることに心を新たにするのである。

「現象無し。實相独在」 で縦横がつくされているということは、これ以外に生長の家は無いということなのである。これこそが生長の家の人類光明化運動が神癒の展開として出発していることの根拠であると拝察させて頂くのである。

 現象無しと現象を超えた時にのみ、神=實相独在があり、そこに自性(じしょう)円満の生命の實相を認めた時にあらわれるメタフィジカル・ヒーリング(神癒)が認められるのであって、現象を何らかの意味において、横の真理として認めたところには、神なく、實相なく、したがって神癒は無く、そこには神なき迷妄の展開があるのみなのである。(1998.7.14)


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