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168復興G:2013/11/01(金) 10:42:40 ID:AB6RqYXc

   『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ― 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

         百十八

 「われは 『完成(ななつ)の燈台』 に燈を点ずるものである。」
     (昭和六年一月十五日神示)」

 大聖師谷口雅春先生にとって、イエス・キリストが二千年前に説き給うたことのはじめの説法は如何なるものにうつってい給うのであろうか。それは大聖師が全人類に向かって説法をされているお姿と重なって想われて来るのである。戯曲 『耶蘇伝(やそでん)』 のイエスの説法のはじまりは、次のようなものになっているのを銘記すべきではなかろうか。


   諸君、わたしは生まれて間もない幼い稚(おさな)い時から神が好きであった。
   そして神を求め神を掴もうと思ってそれを探し求めていたのです。

   どうしたらそれを掴めるか、それがわたしの課題であったのです。
   わたしは断食をしてみたり水行(すいぎょう)をしてみたりしてみたけれどもわたしは神はどこにあるか、神の子がどこにあるかわからなかった。

   苦しんで索(もと)めても神はどこにも見出せなかった。ところが今日(こんにち)、今ここに、そのままに、このままで、ここに、神はあるのだということをわたしはたった今悟ったのだ。

   かつて神の国は近づいたと洗礼のヨハネは言ったが、神の国はすでにここにあると私は言うのだ。
   ヨハネは神の国を準備する役目としてこの世に出たから神の国は近づいたと言ったのだ。

   すでにわたしが出てこのままが神の国に変貌したのだ。
   わたしの内に、諸君の内に、ここにこのまま神の国はあるのだった。
   神とは何であるか。
   神とは 「人間のそのまま」 である。
   むつかしいことも何もない、「人間そのまま」 が神なのである。
   今、太陽は明るく照つている。そのままが日光の中であるように、われわれはこのまま神の生命(いのち)の中に存在を保ち、生き、神の生命を享け、それを生きているから、われわれ自身が初めからこのまま 「神の子」 なのである。
   その住む世界がこのまま 「神の国」 である。
   このままが 「神の子」 であり、このままが 「神の国」 であることに気がつかないで、どこかよそに神の子があり、神の国があるように思っていたのがまちがいだったのだ。
   ここに、この身が、このままに神の子であり、神が円満完全であり、神のみが創造主(つくりぬし)であり、神は全知全能であり、その創造に決して失敗がないということを知るならば、
   神の子であるこのわれわれが、すでに円満完全であり、すでに健全であり、すでに幸福であり、どんな病気も不幸も貧乏もこの世にないことは明らかであるのだ。
  (『生命の實相』 頭注版第31巻44〜45頁)


 これは聖典 『生命の實相』 第1巻冒頭のお言葉であるところの、

   生命の實相の自性円満(そのままでえんまんなこと)を自覚すれば大生命の癒力(なおすちから)が働いてメタフィジカル・ヒーリング(神癒)となります。

 という相(すがた)と重なり合っているものがあると拝察されるのである。
 このイエスの言葉にもまた、生長の家人類光明化運動の発進の宣言が謳(うた)われていると拝察されて来るのである。(1998.10.26)


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