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163
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復興G
:2013/10/28(月) 22:59:49 ID:AB6RqYXc
『神癒の展開としての人類光明化運動』
― 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
榎 本 恵 吾
百十三
「此の燈台より真理の光を受くるものは、創世記のエデンの楽園追放以後、人類を悩ましたところの 『罪』 と 『病』 と 『死』 との三暗黒を消尽(しょうじん)するのである。」
此の燈台より真理の光りを受くることの出来るものは誰か。それは真理の光りのみなのである。何故、受けることが出来るのか。受けることの出来るのは既に、久遠の昔よりある、内なるエデンの楽園なるもののみなのである。
エデンの楽園に入ることの出来ない、永遠に追放されたるものは、真実には、『罪』 と 『病』 と 『死』 とであったのである。永遠の追放を受けているものはこの三暗黒なのであった、と解るもの、受けるものがこの光りを受けるものなのである。
未だかつて、エデンの楽園には罪人なし、罪そのものがないのが楽園天国なのである。
未だかつて一人もエデンの楽園より追放されたるものなし。エデンの楽園は神と神より出でたる神の国であって、エデンの楽園はすべてのすべてであって、エデンの楽園の外なし。 「罪も病も死もなし」 と知ることが、この真理の光りを受けるものなのである。それは常に 「今」 なのである。それ故に 「今すべての病人は起(た)つことが出来る」 のである。
この 「今」 というのは限りもない無時間無空間の 「今」 なのである。限りもなきすべてにあてはまる 「今」 なのである。
「今」 を忘れたことが楽園からみずから追い出された夢を見ていたことにすぎなかったのである。
これから生長の家の真理をよく知って、潜在意識にたたきこんでという時間は無いのである。無いものを無いとすることが、そこがそのままエデンの楽園の発見なのである。 「今」 と言ったら 「今」 なのである。これからではないのである。未来そのものが無いのである。
神の国を、神が想い観(かん)じ給うそのままが 「今」 なのである。 「今」 のほかには何もなく、 「今」 とは、神以外に何もないよろこびをいうのである。
「起つことが出来る」 とは未来のことでないごとく、エデンの楽園に帰るのも未来のことではなく、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が天之岩戸(あまのいわと)からお出ましになるのも未来のことではなく、時間はないと知ることそのことが一切の成就なのである。
倒れたるもの一人もなし。アダムとイブは未だかつて罪を犯したることなし、天照大御神は未だかつて天之岩戸に隠れたることなし。天照大御神を隠すもの何もなし。
天照大御神が仮に岩戸に隠れ給うたという、この 「隠れる」 とは、七柱(ななはしら)の独神(ひとりがみ)が 「身(みみ)を隠し給いき」 の、この 「隠れ」 なのである。
如何にも、アメノウズメのミコトや、八百萬(やおよろず)の神々によって岩戸の外に出ることが出来たように見えているままに、自分を消して、澄み切って、神々を拝んでい給う天照大御神のお姿がここに燦然(さんぜん)と輝いてい給うのである。
それはちょうど、「生長の家の食事」 なる神示において、
「食事は自己に宿る神に供え物を献ずる最も厳粛な儀式である」
と神はみずから示し給うているのであるが、実は、捧げる神の子も、捧げ物もすべては神がお生みになっているものであるにもかかわらず 「捧げ物をして呉れて有り難う」 と神が拝み給う、神ご自身の消え切り、澄み切りのおすがたと同じなのである。
天照大御神は八百萬(やおよろず)の神となって全宇宙を埋(うず)めつくしていることを知って讃えたのがアメノウズメのミコト様であったのである。
エデンの楽園の外なし。エデンの楽園がすべてのすべてであり、追放すべき外はないのであった。(1998.10.21)
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