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16復興G:2013/07/01(月) 07:54:57 ID:AB6RqYXc

   『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ― 「神癒の社“無”の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

         十二

 生長の家にいのち懸けとなるということは、 「……してから」 をいのち懸けで捨て切り、死に切ることにあるのである。そして、はじめのはじめのいのちを今ここに生きることなのである。

 實相、實在ははじめのはじめから、既に、完成せるものとして在りつづけなのである。それ故、 「自分が……してから」 というものは一切要らないのであり、一切入るスキ間は無いのである。自分そのものが要らないのである。如何に尊いと想えるものであっても、それを自分がしてから、ではないのである。

 すべてを捨てるのである。それこそ捨てて死ぬなら死んでもよいのである。神を信じてから、でもなければ、仏を信じてからでもないのである。先達が言ったように、捨てて無くなるような神であり、仏であれば、それははじめから神でもなければ、仏でもないのである。捨てれば捨てるほど生き生きと生きてくるのが、はじめのいのち即ち神であり、仏であるのである。捨てて捨てて死に切った時に生きて来るもの、自我の要らないものを、聖といい、光りというのである。

 私が以前、神癒祈願部に居た時のことである。それは大聖師谷口雅春先生が昇天されてから、七日目のことである。毎日の勤めの祈願の神想観中に、フッと想ったのである。

「谷口雅春先生は九十二歳で亡くなられたが、九十二年の間には一日ぐらいは曇った日もあったのではなかろうか……。いや、一日とは言わずとも半日くらいは、いや一時間くらいは……」

と、このような思いが浮かぶ反面、

「谷口雅春先生は、一時間でも曇ったらいやだ!!」

という思いも浮かぶのである。その曇りも 「もっと人類に役立ちたかった」 とか、あるいは 「もっともっと本を書きあらわしたかった」 とか、その崇高さにおいては自分とはくらべものにならないものではあるにしても、 「……したかった!!」 という悔いというか、心を曇らせるものがあったのではないか、と想った時であった。朝焼けのようなさえぎるものなき明るさの中に、満面笑みを浮かべて、尊師が観じられたといおうか、想われたといおうか、そのよろこばしさ、幸いなるものが私を包んだのである。そして、

「私は無いのだよ」

とおっしやったのである。細かい情景のようなものは憶えていないが、ただただ 「自分が無い」 ということはこんなにも嬉しいことなのかッ、ということだけがはっきりと想われたのであった。

 私が曇るも曇らぬもない。私そのものが無いのである。何年何月に自分が生まれて、その自分が悟って、光明化運動をはじめて、これだけの聖典を著して、これだけ人々によろこびを与えて、役だって………というものを捨てて、捨てて、死んで死んで死に切って素っ裸になって、はじめのはじめなるいのちがそこに在し給うたのであった。

 私はここに、光明という光明、よろこびというよろこびというものに包まれたのを、私の魂は観じたのであろう。一週間くらいの間、うれしくてうれしくて、まるで宙に浮いているような感じを味わったのである。

 自分がこうしたから、ああしたからを全く捨てて捨てて、超えて超えて、死に切って、全宇宙を無しと死に切って、はじめなるが故に、今であり、久遠であり、渾(すべ)ての渾てなるもの、それこそ自分のいのちと引き替えに、久遠の甦りそのものとして尊師は立ち給うたのであり、光明化運動も立ったのであった。(1998.7.12)


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