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復興G
:2013/10/19(土) 22:01:26 ID:AB6RqYXc
『神癒の展開としての人類光明化運動』
― 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
榎 本 恵 吾
百十一
「『生長の家』 を読み真理を知るだけで遠くにいて病気が治る事実を見よ」
『生長の家』 を読んでどころか、『生長の家』 を読まないうちに癒(いや)されて、その後で読む人さえあらわれて来た事実を見よ、ということである。これは読むことの最大なるものであると言わなければならないのである。
ここには全托以上の全托があると云わなければならないのである。読んで神を知って、その後に全托をするということを一切超えてしまっている癒され方である。癒されている事実が先であることが、ここには体験されているのである。
はじめから癒されている實在の實相が先であるから、斯(か)くの如きことが起こるというより外はないのである。
そして、これはそのはじめからあるところの實在の實相を写したのが 『生長の家』 であり、生長の家の聖典の一切であるということになっているからなのである。
生命の實相の自性円満(そのままでえんまんなこと)を拝み、祝福して写し給うたのが 『生長の家』 であるからなのである。素晴らしい實相が先であればこそ、それを観ずる神想観があり、生かされているという感謝があり、礼拝があるのである。
生長の家では懺悔(ざんげ)してから、生かされるのではないのである。既にはじめから生かされていた實相をよろこばなかったのが罪けがれなのであり、よろこぶことを遠慮したことを懺悔するのであって、生かされている實相をよろこぶことが機悔となっているのである。
『生長の家』 を読まないうちに癒されたということの、もう一つの理由は、完全円満の既に完成なるもの、即ち實相の鳴りひびきを、神が先に読み給うて、そこに写されたことになっているのであり、神の方が先に、神の子のいのちを読み給うたのであって、その祝福、礼拝によって、神によってその事実があらわれたということになっているのである。
「生きとし生けるものを生かし給える御祖神(みおやがみ)」 によって生かされている事実がここに開顕されているということになっているのである。
そのようなすがたとして、天地一切万物があると観ることが、生長の家が 「完成(ななつ)の燈台」 として人類の前に臨むことなのである。
「完成(ななつ)の燈台の点燈者」 とは、完成すなわち、完成なる燈台が、完成なるものを照らし出すものという意味なのである。これはこのまま、神の世界を、神が想い給うところの神想観のすがたなのである。
神の世界に、神が臨(のぞ)み給うのが、生長の家の人類の前に臨むすがたなのである。これが生長の家入類光明化運動なるもののすがたなのである。
生長の家は久遠の昔から在る、ということは人類もまた久遠の昔から在る、ということであると観るのが、神が想い給う想いであり給うのである。
「臨(のぞ)む」 とは、神が降臨し給い、神が臨み給うのである。神の臨在(りんざい)こそが生長の家人類光明化運動が、神想観なるものの展開として存在し、この世に臨んでいるすがたなのである。神想観は、神の世界を神が想い観じ給うすがたであり、生長の家人類光明化運動は、神の世界に神が臨み給うことであり、神想観と生長の家人類光明化運動はおなじ相(すがた)をしているのである。(1998.10.19)
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