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134復興G:2013/10/04(金) 11:20:10 ID:AB6RqYXc

   『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ― 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

         百二

 生長の家人類光明化運動なるものは神であるが故に、渾(すべ)ての渾てであるが故に、父であり、母であるのである。

 父であり、母であるが故に、 「天地(あめつち)の創造主(つくりぬし)にましまし、吾が生みのみ親にまします神よ」 とは、「天地の創造主にましまし、吾が生みの、父であり母である生長の家人類光明化運動よ」 ということなのである。

 同時にまた、生長の家人類光明化運動は先祖であり給い、兄弟姉妹であり給うのである。天地一切万物が生長の家人類光明化運動なのである。

 それ故、太陽は決して青空から外に出ることがないごとく、父であり、母である生長の家人類光明化運動の外に出ることは有り得ないのである。

 「神に感謝しても父母(ちちはは)に感謝し得ない者は神の心にかなわぬ」 とは、何が、どこが神の心にかなわないのであるか。神は言い給うているのである。すなわち、

 「私に感謝したり、拝んだりしないと私はお前を生かさないと想っているのか。私とお前は離れたことは一度もないではないか。私のいのちがあらわれてお前となっているのではないか。それなのに、今さら、感謝したり、拝んだりしないと生かさないと想っている、その心が私にとっては淋しいかぎりなのである。私はいつでも生かしているのだから、私の方は向かなくてもよいから、父母をはじめ周囲一切のものに感謝してくれれば、それが一番私には嬉しいのだよ。そして、父も母も兄弟姉妹も、天地一切が私そのものなのだ」

 と、あたたかい極致(きょくち)において発せられているコトバが 「大調和の神示」 なのである。

 斯(か)くの如く、あたたかい極致なのが、生長の家人類光明化運動なのである。父母のあたたかさの極致が、神であり、生長の家人類光明化運動なるものなのである。

 生長の家人類光明化運動なるものは、

 「お前はわざわざ自分で、生長の家人類光明化運動をしなければ、私が生かさないと想っているのか。私があらわれてお前となっているのではないか。私はお前から一度もはなれたことはないのだよ。私の方は向かなくてもよいから、父母先祖、周囲一切を見よ。それもまた、私そのものなのである。お前は生長の家人類光明化運動をしてから生まれて来たのではないのだよ。なぜなら、お前が生長の家人類光明化運動をするのでは、お前と生長の家人類光明化運動、つまり私とはなれていることになるからである。私はすべてのすべてであって、お前は私すなわち生長の家人類光明化運動をなんとかする、というようなことは永遠にあり得ないことなのだ。お前は、私すなわち生長の家人類光明化運動そのものなのである」

 と今、私を通して生長の家人類光明化運動なるものは鳴りひびいてい給うのである。

 「このことを素直に聴いて、よろこんでいる姿を見ることは、どんなにか私のよろこびであることだろう」

 斯(か)く、父母のあたたかさを以て、生長の家人類光明化運動は永遠に久遠に斯くあり給うのである。(1998.10.10)


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