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130復興G:2013/09/30(月) 07:09:03 ID:AENtSm/U

   『神癒の展開としての人類光明化運動』
     ― 「神癒の社 “無” の門関・入龍宮幽斎殿」 にての覚え書―
             榎 本 恵 吾 

         九十八

 神は満点そのものであり、天国の持続そのものであり給う。これが實相ということであり、まことの生長ということなのである。

 それ故、生長の家人類光明化運動なるものもまた、満点の卒業として、進んでいるのである。

 神は試行錯誤をされ給うことはなく、ただただ、すべてを満点でクリヤーしつづけ給いつつあるのみなのである。

 神は、やってみた結果、思わしくなかったから、別の道を選ぶというような進み方はされ給わないのである。変化すると言えどもすべて満点で前進の姿があるのみなのである。

 これが生長の家人類光明化運動の中身なのである。

 生長とは自性(じしょう)を没せずして創造的な久遠の自己展開をしているすがたを言うのである。それ故、明日をまたずして消えゆくものではないのである。

 はじめのはじめに完成があり、「こと終われり」 があり、今もありつづけて、しかも無限の展開、発展そのものなのである。

 感謝すなわち満足と、無限の生長がひとつとなっているのが生命の不可思議、妙々(みょうみょう)のすがたである。満足し、感謝した人ほど健康であり、繁栄するのである。

 満点の持続が生長ということである。それ故、生長はありつつも、昨日よりも今日の方がより偉大である、というあり方ではないのである。昨日も絶対、今日も絶対、永遠に久遠に、比較を絶して渾(すべ)ての渾てであるのがいのちのもつ妙々不可思議なすがたなのである。

 それ以外ない渾ての渾てなるものの純粋なる天国の持続なるものにとっては、過去、現在、未来というものはなく、今なるすべてがあるのみなのである。

 神は創造するにあたって、何ものをも用い給わず、ただただ、完成をもって完成し給うのみなのである。

 自性を没せざるとは、完成を没せざるということにほかならないのである。

 自性とは、自(みずか)ら、自(おの)ずからなる心が生きていることである。心そのものが渾ての渾てであるその心である。

  完全なる神の
  『心』 動き出でてコトバとなれば
  一切の現象展開して万物成る。

 と聖経 『甘露の法雨』 に示されている、その心こそまことの自性なのである。心に想ったことが実現して来る、という心ではないのである。即、実現をも満足している渾ての渾てなる心こそが自性(じしょう)ということなのである。

 原因と結果とが別々にあるのではなく、今ここに渾ての渾てが存在する、はじめであり、終わりであり、渾ての渾てなのが自性すなわち神の心なのである。

 自性(じしょう)は自性なるが故に、他性(たしょう)なる常に他に原因を握られている現象ではないのである。「神の心動き出でてコトバとなれば、一切の現象展開して万物成る」 という、この現象は、神の展開そのものであるが故に、實相そのもの、自性そのものなのである。

 みずから、おのずから成就(じょうじゅ)そのものである霊なるものであり、成就とは、今ここに成り就(な)りつづいている完成そのものなる實相の、完成なるものなる、自性なるものの消息である。みずから成就そのものなるものが、神のコトバなのである。神の心すなわち自性なるものの消息である。(1998.10.6)


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