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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2
3427
:
トキ
:2015/08/26(水) 17:12:20 ID:80y8yCMM
>>3421
ハーバート・ノーマンが来日にしたことは、かっての親友 都留重人を探し出すことでした。
都留重人は、戦争中、海軍のブレイントラストをしていました。(この当時のことについては、
元海軍中佐の中山定義氏の著書「一海軍士官の回想」に詳しく書かれています。)そのため、
戦争中の日本の様子に詳しかったので、ノーマンのアシスタントとしてかなり役立ったみたい
です。
ここで、少しノーマンのプロフィールに触れると、ノーマンは、高い知性と教養を持ち、
エネルギッシュな人物でした。戦中、戦後に渡り数多くの論文を書き、外交官としても
多くの報告書を書いています。ある時、フランスの外交官との対話でホメロスの詩
「イリアース」(ギリシャの古典)を朗唱したエピソードを作家の中村真一郎が書いて
います。後年、彼がスパイの容疑を受けて自殺した時、カナダ政府はアメリカ政府に
抗議をしたのも、彼の能力が高く評価されていた証拠だと言えます。(現在でも、公式
には、カナダ政府はノーマンのスパイ説を否定しています。)日本では学者との交流も
深く、学者としての全集も出版させています。日本でもインテリの間で熱狂的な支持を
受けていたと言えます。
と、同時に、彼は、日本の「封建制」の廃止を主張していました。1945年6月に、
ノーマンはこう主張しています。
「天皇制が日本の人種偏見と帝国主義の基礎であり、日本の平和と文明のために
大きく変革するか、廃止さえしても良いという考え方を奨励すべきである。」と。
「悲劇の外交官」 p243より
(つづく)
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