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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

3421トキ:2015/08/25(火) 23:06:34 ID:FOECYR/M
>>3420

 ノーマンは大東亜戦争開戦にともないカナダに帰国します。

 ハーバート・ノーマンの伝記「悲劇の外交官」-ハーバート・ノーマンの生涯
(工藤美代子著、岩波書店)によれば、ノーマンは帰国後情報関係の仕事に従事
し、次第に頭角を現したようです。もともとカナダ政府には日本問題の専門家
はほとんど(というよりも、彼しかいない)いない上に、専門的な論文を
執筆するなど学者としても評価を得ていたので、カナダだけではなく、連合国
の対日情報関係者に名前が知られ、次第に影響力を強めていきます。

 もっとも、それはあくまでも連合国側の視点であり、日本側から見ると、彼
の考えはかなり偏ったものであり、正確性に欠けるものに見えたみたいです。

 さて、戦争が終わり、連合国が日本に進駐する頃になると、彼は日本問題の
専門家としてマッカーサー元帥の絶大な信頼を得るに至ります。彼は16歳まで
日本にいたので日本語はできますし、公使館勤務時代は羽仁五郎から個人教授を
受けていたので、ある程度の近代史の知識は持っていました。そこをマッカーサー
元帥から評価されたのです。
 
 もっとも、近衛文麿元首相がマッカーサー元帥と面会した時に、元帥が考えて
いる日本についての認識がまるでおかしなものであった事に近衛文麿はきがつきます。

 例えば、戦犯として指名するリストに、全く戦争とは関係のない人の名前や
中野正剛や内田良平のように故人の名前が掲載されている事や、戦争原因とし
て、既に存在しない黒龍社の名前をあげたりしました。

 この情報源がノーマンだったのです。
(「無念なり」 近衛文麿の闘い 大野芳著、平凡社)

(つづく)


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