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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

3398トキ:2015/08/17(月) 18:38:00 ID:DRHorAYY
 児島譲さんの「史録 日本国憲法」は、昭和47年に出版された本ですが、当時は、関係者が
多数存命しており、ケーディス大佐や白洲次郎を含め、主な関係者にインタビューをして書かれた
本です。児島譲さんは、正直に書いています。

 「当時、日本政府は憲法の改正については、まったく考えていなかった」(p21)

その理由は3つあります。一つは、当時は憲法どころではなかったからです。

 昭和24年4月、経済安定本部が発表した統計によれば、軍人、軍属、市民の戦死、行方不明者
は253万3025人、船舶は80%が失われ、建物は24.6%が被害を受け、罹災者は国民の12.1%にあたる875万4041人
を数えたそうです。これでは、憲法どころではない、というのが実情でしょう。

 次に、進駐軍への対応もあります。

 当時の東久邇宮首相は、昭和20年9月18日、外人記者団との会見で、憲法改正の用意ありや、と
質問をされると、東久邇宮首相は、むしろ意外そうに答えた。

 「われわれは連日、マッカーサー司令部の要求に追われてその完遂に全力を挙げているので、まだ
内政面に関し、いかなる改革を行うべきかを考える時間的余裕がない」(p23)

 さらに、ポツダム宣言受託のさいに出した唯一の条件が「国体護持」である以上、終戦後も国体に
変化はないものと理解をしていたのです。(p23)

 ただし、これは日本側の認識でして、連合国側は明らかに天皇制を問題視していました。

 「極東の小国日本が連合国を悩ませた強大な国力の源泉、それは、国民統合の中心とな
っている天皇制であるとみたからこそ、占領政策の基本方針は憲法を改正させ、天皇の地位
をかえることだとしているのである。」(大石 「日本憲法論」 p35)

 児島譲さんの「史録 日本国憲法」では、占領軍のクリスと准将とケーディス大佐の会話
が描かれています。

 「ケーディス大佐も眼を伏せたが、答えた。
 『ノー、閣下。名案はありません。しかし、最低の必要条件は思いつきます。国家の政治は
法治国家である以上、法律にしたがって運営されますから、政治を変えるには法律とくに憲法
を変えれば良いわけです。

 だから、われわれが望む方向にそった政治ができるような憲法変革を日本政府に要求する必要
があると思います。」(「史録 日本国憲法」p18)

(つづく)


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