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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

3395トキ:2015/08/17(月) 12:52:30 ID:DRHorAYY
 「日本憲法論」の緒言には、大日本帝國憲法が崩壊した経過として
 
 「政治の実際が次第に専制化し、個人の人格を尊重すべきこともだんだん忘れられ、国民個人の
生命、身体の自由、言論の自由も不当に無視され、憲法はあれどもなきが如く、
議会は無力化され、我が国の立憲主義政治は殆ど忘れ去られてしまった感がある。」

とし、続いて、

 「しかし、これには、学者や、評論家や、新聞などが大いに責任があるのである。何となれば、
憲法が変わらないのに、ロシアに共産党一党独裁の国家が現れ、イタリーにファシスト政権が
成立し、ドイツにナチス政権が成立するや、学者や、評論家や、新聞の多くは先を争うて、彼の
過激な専制政治の思想を受け入れ、これを我が国の政治の思想の基礎とするようになったのである。」

と書いています。(日本憲法論 p7)

 ただし、大石義雄教授の後継者である佐藤幸治教授になると、大日本帝國憲法の問題点として、
統帥権独立の問題、首相の権限のなさ、人権規定の根拠の弱さ等も加えて指摘しています。しかし、
どの天皇制自体が戦前の軍部独裁の根拠となったのではない、という理解は共通しているような
印象はあります。

 申し訳ないですが、法律家の書かれた文章なので、ややわかりにくいです。

 この点は、司馬遼太郎が「昭和という時代」という本の中で、「魔法の森」という表現を使っています。
つまり、明治から昭和になって官僚機構が整備され、陸軍大学や東京帝國大学が整備され、入試制度が
整備されると、点数主義が横行します。

(つづく)


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