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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

2498流氷:2014/11/02(日) 12:21:00 ID:DcpbfYSY
>>2497

司会)来年(二〇一五年度)から小学校で使われる五、六年生用のすべての教科書で、竹島や尖閣諸島について「日本固有の領土」と明記されるそうです。まあ、「(竹島を)韓国が不法に占拠している」とか
「(尖閣諸島は)日本の領土でありながら、中国が自国の領土であると主張しています」とか、教科書によっては両方の立場を明記する表現もありますね。
 でも、固有とは具体的にいつからを示すのでしょう。なんとなく古代からという雰囲気を与えるけど、そもそも国民国家が形を成すのは十七世紀以降です。それ以前に国家は存在していない。だから「固有の領土」というのは、
政治的に決められたという側面が強いものです。こうしたことをすっ飛ばして、「固有の領土」と教えるのは、いかがなもんでしょうね。

B)私は、尖閣が古代から日本領だなんて思ってはいない。ただ、歴史を調べれば、一八九五年に沖縄県に編入することを、当時の日本政府は閣議決定していることがわかります。もちろん、何度も調査に行って、清(中国)の支配下ではないことを確認しています。
だから勝手に日本に編入したのではない。それに戦後は、沖縄の一部として、アメリカの管理下に置かれました。だからこそ、一九七二年の沖縄返還に伴って、尖閣諸島も日本へ返還されたんです。さっきも言ったけど、中国が尖閣のことを言い出したのは、この地域に大量の海底油田が
あることがわかって以降からですよ。

E)それなのに、日中政府は、尖閣について「棚上げ」してきた。国交正常化を優先したかったからです。あの時、はっきりと「尖閣は日本固有の領土」であることを認めさせていれば、今みたいに中国に好き勝手なことをさせなくて済んだと思います。
 安倍さんは、そうしたうやむやな現状にきっぱりとケリをつけたいと思っているんでしょう。

森)それこそ、まさしく「視点」です。Bさんは一八九五年の閣議決定を出しましたが、それ以前の尖閣は、琉球王国と中国を結ぶ航路上にありました。一八八五年には外務大臣などを務めた井上馨が、島に国標を立てると清国を刺激するとして、とりやめさせています。さらに
一八九四年に日清戦争が起きて、閣議決定がその翌年です。これを逆から見れば、中国の言い分にも利が出てきます。尖閣は魚釣島だけではなくて、八つの島で形成されています。だから諸島なんです。
そのうち二番目と三番目に大きい九場島や大正島には、在日米軍が射爆撃場を設置して日本国民は自由に上陸できません。これだってもっと問題になっていいと思うのだけど、知る人も少ないようですね。

 先ほどの話にも出たとおり、国民国家が形を成すのは十七世紀以降です。領土や領有という感覚はつい最近です。そこで互いにどちらが古いかと主張しあう。とても不毛です。まあそうは言いながらも尖閣については、中国の主張にかなり無理があると僕も感じています。でも少なくとも
彼らの側から見れば、たしかにそう見えるよなという領域も決して小さくない。

E)いまネットで調べたら、日本共産党でさえ、「日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった」とかいう見解を出しているんですね。おもしろいなあ、これ。

A)でも不幸なことにその島が、今では領土をめぐる諍いのシンボルになってしまった。

 『アは「愛国」のア』 森達也 著


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