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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

2472「訊」:2014/10/24(金) 11:13:40 ID:???

>>2468 縹さま


 ご丁寧な返信に、感謝致します。さて、「誤解を恐れずに」の以下ご発言内容に関して私見を述べますが、

>>>もし誤解を恐れずに発言するなら、「殺すなかれ」ではなく、真相は、「殺したくない」ではないでしょうか。それが宗教者の心情というものだと感じるのです。<<<

 に関しては当方、違う意見です。

 雅春先生の「殺すなかれ」は、もう、そのままの意味だと思ってます。この、最終講話に於ける雅春先生ですが、モーゼの十戒あるいは仏教の十全の徳を論拠に置かれた、謂わば、「そのままの意味の『殺すなかれ』」・・・・・その様に解釈致しましたがいかがでしょうか。


 ところで、大西郷と雅春先生の共通点である「殺すなかれ」ですが、(共通点とくくったのは当方私見ではありますが)「『殺し』ってのは割りに合わない」ものです。雅春先生の「殺すなかれ」は今回は、モーゼの十戒が論拠ですが大西郷のそれは、「慈愛とコスト意識」になりましょうか。こんなところに共通点を見る次第なのですがたとえば、どうして薩摩藩士はサムライのくせに、「コスト意識があるのか(ソロバン勘定に優れていたのか)」に関して触れますけれども、薩摩ってクニは・・・・・兵隊が農民を兼ねてイタわけです。大戦争をしてたとえ勝利したとしても、あまりにも人員損害に見舞われますともう、国家財政が成り立たなくなっていたわけですね。映画では勇壮に描かれる薩摩武士ですが、そして確かに「日本でいちばん強かった」のは間違いないのですが、それでも、薩摩藩の戦い流儀は「人的損害の回避」(※)です。ギリギリまで戦端を開くことはなくそれが要因で、お家騒動にまでなっちゃうことがある位です。話を戻しますが、この、「殺すなかれ」

 ・・・・・ですが、この、「殺すなかれ」は、そのままの意味だと思います。

 道徳的足りえないのは無論、やはり、「割りに合わない」とも、言えるのではなかろうかと。それ故モーゼの十戒では冒頭が、この、「殺すなかれ」になっているのではないかと。

 ・・・ですんで今回の雅春先生の最終講話ですが ―― 「御帰幽直前」のご講話ですね ―― よほど襟を正して聴かねばならぬものだと思います。





<註>

※ 薩摩藩の戦い流儀は「人的損害の回避」

 ドラマでは勇壮に描かれるあの、関ケ原での「敵前中央突破」ですが、薩摩では長く、あれは、「失敗の見本例とされた」のでした。あんな戦いをしちゃイカン、そんな戒めとして長く後世に伝わった戦いであり、「薩摩武士の本懐!」など、そんな総括はされてイナイのです。(「童歌の世界」を除く)なお、この関ケ原での戦いを教訓に薩摩は以後、中央からの情報収集に注力しますが、そしてそれが明治維新の基礎ともなりましたが、余談ですので割愛。


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