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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2
2466
:
「訊」
:2014/10/23(木) 07:51:58 ID:???
<
>>2465
註>
※ 誰よりも早く「ロシアの南下に警鐘を鳴らしていた人物」が、大西郷でした。
ロシアが南下してくる際、日本は、満州を抑えていないことには「必敗」でございました。理由はなにか・・・・・「二方面作戦を強いられるから」です。そしてその、二方面とは何かと云えば「北海道〜日本海側」「九州」の二方面になります。
・・・・・脆弱な財政状態でこの、二方面作戦を強いられれば国家が破産します。郡奉行を経験しソロバンにも通じていたウドさあには、これが、見えておりました。それ故の「征韓論」であり、「満州」だったのです。満州を抑えれば明治国家ですが、二方面作戦を強いられずに済みます。そして「強力な薩摩型将校に率いられた日本陸軍」ですが、これを「満州の一箇所へ集中配備可能となる」わけです。これを実現するための征韓論論争だったのですが、岩倉・木戸らに潰されます。満州を抑えてからロシアと「道義を尽くして話し合いをする」というウドさあの理想は、潰え下野、鹿児島へ帰ります。
・・・・余談ですがおそらく、他県に於かれては大西郷のイメージって「好々爺」だと思うのですが、違うのです。大西郷とは好々爺でありながらも、ソロバン勘定に優れ、あらゆる権謀術策を駆使できるリアリストでもございました。ロシアの南下政策に対し、具体策を持っていたのは大西郷唯ひとりだと思っております。そして余談がつづきますが薩軍が田原坂で勝利を収め、村田新八を主とするような内閣が出来上がっておれば「明治政府」ですが、もう、ホント・・・・・スゴイものになったと思います。以下は妄想ですがそれこそ、「戦わずしてロシアを破る」ような、すごい国家になっていたであろうと。
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