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生長の家政治連合と「今の教え」を考える/2

2465「訊」:2014/10/23(木) 07:25:24 ID:???

(つづき)

 ・・・・ところで幕末ですが、誰よりも早く「ロシアの南下に警鐘を鳴らしていた人物」が、大西郷でした。そして、ウドさあ(大西郷)の懸念は昭和に入り、ソ連がTB-3(重爆撃機)を沿海州に70機配備するに至り、現実化します。東京空襲を狙う意図を見せた当時のソ連ですがこれが、満州事変の遠因でしたけれども、長くなるので割愛・・・・・さて、大西郷ですが、政策方針は雅春先生とも一致してます。

 ウドさあは「堂々と相手方と議論すること」を、主眼に置いていたのです。軍事力を背景にはしますが、あくまでも主眼は「話し合い」でした。ウドさあの理想は薩摩藩士を将校とする、強力な日本陸軍の建設でしたけれども、そしてそれはたぶん、ロシア南下政策にも対抗し得たでしょうけれどもあくまでも軍事力とは、「道義を明らかにして話し合うためのもの」でした。

 これが薩英戦争などで得たウドさあの、現実的な外交政策の基本でした。軍事力とはあくまでも、話し合うための道具だったのです。ところでウドさあですが、「軍事力への解釈」を如実に現したのが「戊辰の役」です。強力な薩摩武士団で「相手を威嚇する」わけですが、それでもそれは、話し合いを冷静に行うためだったのです。「勝った官軍側に刀を携帯させず、負けた側へは刀を持たせて」会談に臨んだりしておりますが、「これじゃどっちが勝ったかワカラン!」てな批判轟々となりました・・・・それでも、ヤッちゃったわけですがこれは、当時の常識からすればスゴイことです。(こんな粋な配慮に感動した側は後日、西南の役に際しては義勇軍まで送ってくれてます・・・・)

 まあ、話が長くなりますんで、この辺で。

 谷口雅春先生と、大西郷はもう、なんて云うのか、私が尊敬して止まない人物です。雅春先生の音声ご講話「殺すなかれ」はもう、大西郷の思想にも通じると思っております。すごいです。本当に。




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