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女子会板/2

960流氷:2014/03/09(日) 23:15:59 ID:4tZ4zCMg
     子どもを変える、親の修行

 では自分を磨くとはどういうことか。
実は、これが「子どもを勉強好きにする」というテーマに深くつながっていきます。
私たちはよく「善悪」という言葉を使います。しかし実は世の中には「善悪」というものは存在しません。
そもそも誰が善だの悪だのと決めたのでしょう。私たち人間が自分たちの価値観に基づいて勝手に名付けたものです。
本当は、「事実」があるだけなのです。

 道教の始祖の一人である荘子という人が「蟪蛄(けいこ)春秋を識らず」と言ったそうです。
「蝉(蟪蛄)は夏の間しか地上にいないから春も秋も冬も知らない。かわいそうに、そうやって死んでいく」と。
それに対して後世の曇鸞という僧は「では蝉は本当に夏だったら知っているのか。否、夏しか知らないものに本当の夏は一生わからない。
夏しか生きていないのだから」と言いました。

 つまり「夏しか知らない蝉には、一生、本当の夏などわかるわけがない」、とも言い換えられます。
「本当の夏を知るためには、夏ではないものの存在を知りつくさなければならない」、これを人生に置き換えるとこうなります。
「本当の幸せを感じるためには、幸せではない(不幸の)状態を味わいつくさなねばならない」。
ここで「幸せ」=「善」、「不幸」=「悪」という二極的な思考がいかに浅はかなものであるかに気づくのです。
幸せとは、不幸の存在があって初めて存在できるもの。つまり幸せと不幸は互いに支え合う表裏一体の事象にすぎないのです。

 戦争を「悪」だと断罪する人がいます。そんな人は、平和を絶対的な「善」だといいます。
では平和とは何でしょうか。戦争に類する言葉を使わずに平和を説明することは、極めて困難です。平和しか経験したことのない者に、
本当の平和は絶対にわかりません。戦争というものを認識できる人こそ、平和を希求できるのです。

 これが、善悪の基準を取り除いた、陰陽学で言うところの「悟りを開く者の定義」なのです。
すなわち、悟りを開く者とは「悪を滅ぼし、善を勧める」という勧善懲悪といった絵空事を企てる者ではなく、善と悪のダイナミックな調和を生きる者であると。
これが悟りを開くということなのです。もっと身近な例でいうと、悟りを開く者は「男らしさを知りながら女らしさを残す者」とも定義されています。
「男か女か」「男がいいか女がいいか」という二元的な考えを超越した者だということです。

 だから仏像は中世的な顔をしているのだそうです。しかし人間は愚かにもすぐに物事を二つに分け、優劣をつけたがります。そこからさまざまな間違いが生まれます。
たとえば男女の間には、優劣善悪もありません。補完し合って一つです。
 しかし残念なことに、人間は神仏ではないので、自分が善だと思った道を信じて生きていくしかありません。
ここで先ほどの「自分を徹底的に整備する」という話に戻します。これは別の言葉では「徳を積む」と表現することができます。

 私の尊敬する方にS・Yワークスという会社の代表をしておられる佐藤芳直さんいう方がいらっしゃいます。私は何度か佐藤芳直さんのご講演をお聴きしましたが、
深い歴史観と物事の本質を射抜くシャープな名句の数々に、いったい何度魂を打ち抜かれたことか。これほどしびれる講演をされる方は、そういらっしゃらないと思います。
その佐藤さんが、以前講演でおっしゃっていたことを私なりにお伝えするとこうなります。


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